足利義昭 PR

足利義昭の性格や特徴!逸話 やいい話・エピソードについても

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室町幕府・最後の将軍でもある足利義昭は、明智光秀と織田信長の両方ととても深く関係する人物です。

今回は、足利義昭の性格や特徴・逸話を紹介します。

また、織田信長や明智光秀、豊臣秀吉とのいい話・エピソードについても解説します。

足利義昭の性格や特徴と生涯

足利義昭の性格や特徴はどのようだったのか、生涯の出来事とともに見ていきましょう。

プライドが高い野心家で信長を利用

今回は戦国時代の末期という、時代が大きく動いた時期に将軍になった足利義昭について紹介します。

大河ドラマ「麒麟がくる」では独特な存在感を持つ演技派俳優の滝藤賢一さんが演じます。

発表されているキャストビジュアルからは、一癖も二癖もありそうな人物に見えますが、実際はどんな性格だったのでしょうか?

その生涯を振り返りながら、人物像に迫ってみたいと思います。

 

義昭は天文6年(1537年)に第12代将軍の次男として生まれました。

将軍家は長男が継ぎ、それ以外の男子は出家させることに決まっていたため、義昭も奈良県奈良市の興福寺に入れられ、そのまま僧侶になりました。

しかし永禄8年(1565年)、将軍となった兄が暗殺されます。

義昭も興福寺に幽閉されますが、兄の家臣に助けられて脱出します。

自身が将軍になる事を決意した義昭は、自分を助けてくれる人物を探します。

そこで目を付けた人物が織田信長です。

義昭の兄の死後、将軍職には病弱だった従兄弟が就いていましたが、1年も経たずに亡くなります。

この直後の永禄11年(1568年)10月、義昭は信長の助けを借りて京都に戻る事ができ、無事に第15代将軍となりました。

 

義昭はそれからしばらくは信長の言う事に従いながら、室町幕府の権力を再び取り戻そうと考えていました。

ですが、徐々に2人の仲は悪くなっていきます。

信長が将軍の権力を制限したり、義昭の意見を取り入れなかったりと、自分よりも上の立場であるような振る舞いに我慢が出来なかったようです。

義昭には、将軍こそがすべての武士の頂点であるという思いがあったのではないでしょうか。

そのため自分を助けてくれた存在であっても、信長の事を下の立場だと考えていたように思います。

将軍という立場に対する強い誇りを持っており、野心家でもあったと言えそうです。

外交的で世渡り上手

そして義昭は多くの大名に働きかけ、信長包囲網と呼ばれる反信長連合を作ります。

信長が上手く対応して連合が崩壊しても、義昭は再び様々な大名や勢力に働きかけ、合計3回も連合を成立させており、外交面では優秀な人物だったようです。

この行いにより義昭と信長の対立は決定的となり、ついに直接戦う事になります。

ですが各地で戦いを繰り返してきた信長と、自分で指揮をとった事のない義昭では経験に大きな差があり、敗北した義昭はついに京都から追放されてしまいました。

 

ただしこの時点ではまだ義昭は将軍であり、京都を追われた後は毛利家が治めていた備後の国(現在の広島県東部地方)で保護され、そこで将軍としての政治活動を行っていました。

その後、豊臣秀吉が関白という政治家としてのトップの地位に就いて天下を統一していくのですが、義昭は秀吉の九州統一を支援しています。

そして天正16年(1588年)、ついに義昭は秀吉に従って京都へ戻る事が出来ました。

この時、ついに義昭が将軍職を辞職し、室町幕府は滅びました。

信長に京都を追放されてから15年後の事でした。

晩年は再び出家し、秀吉からは領地を与えられ、朝廷からも高い地位を貰うなど高待遇を受けています。

そして慶長2年(1597年)8月、61歳で亡くなりました。

義昭の生涯を振り返ってみると、危険な目にあったり、そのまま隠居させられてもおかしくない状況になったりと、何度も苦しい立場になっていますが、その度に自分を支援してくれる人物を見つけています。

義昭はかなり世渡り上手だったと言えそうです。

なんとなく憎めない人柄だったのかもしれません。

義昭を扱った作品では頼りないイメージに描かれる事が多いのですが、仕方ないから力を貸してあげようと思える、不思議な魅力があった人物なのではないでしょうか。

足利義昭の特徴:鞘公方

足利義昭の性格以外の特徴としては、見た目・容姿が挙げられます。

肖像画は残っているのですが、これといった特徴だった容姿の持ち主ではなかったようです。

「麒麟がくる」では、向井理が演じていますがカッコ良かったイケメンだったという逸話は見当たりませんでした。

苦労人ではありましたが、穏やかな死を迎えることができたこともあり、痩せこけた人物であった訳でもありません。

晩年まで朝鮮出兵にも参加すると意気込んでいたことから、血気盛んな人物であったと考えられます。

足利義昭の逸話・いい話・エピソード

有名な戦国武将と深い関わりのあった足利義昭には、彼らとの関係についても面白い話が残っています。

今度は義昭と有名武将にまつわるエピソードを紹介しながら、どんな人物だったのかを見ていきたいと思います。

豊臣秀吉の話し相手

織田信長とは仲が悪かった足利義昭ですが、信長の部下であった豊臣秀吉には気に入られていたようです。

晩年の義昭は秀吉の御伽衆、つまり話し相手になっていたのです。

朝鮮出兵の時には、義昭に佐賀県まで行って欲しいと頼んでいます。

これは恐らく現地で面白い話を仕入れてきて欲しいという気持ちと、出兵する武将達を楽しませたり和ませるため、話し相手になってきて欲しいという意味があったと思います。

話上手で面白く、場を盛り上げるのが上手かったのではないでしょうか。

上司としてよりも、友人に欲しいタイプの人物だったように思います。

信長を父と称え感謝していた

そして最終的に仲違いした信長に対しても、自分が将軍になった時には感謝の気持ちを強く伝えています。

3歳年上の信長に対して「室町幕府の父」という称号を与え、感謝状に「私の父、信長殿へ」と書いたのです。

とても大げさな表現をされて、信長も困ったのではないでしょうか。

更に京都での将軍時代には

  • 名馬がいると聞いたら、その馬を差し出すように要求する。
  • 欲しかった刀を取り上げて自分の物にする。
  • 神社の敷地を勝手に没収する。

など、ワガママ放題でした。

やはり調子に乗りやすい人物だったようです。

 

一方で、本能寺の変の黒幕であるという説があります。

根拠は

  • 織田信長に恨みを持っていた。
  • まだ将軍だったため、他の大名たちに命令を出せる立場だった。
  • 明智光秀が一時期義昭に仕えていた。

といった点が挙げられています。

ただし現在残っている記録と合わせて見ると、義昭がきちんとサポートしていれば光秀が天下を取れていたはずだと言われています。

そのため、もし本当に義昭が黒幕だったとしたら、信長を倒す事にしか興味がなく、感情的に行動する性格だったと言えそうです。

 

足利義昭という人物は、良くも悪くも自分の気持ちに素直で、理性よりも感情を優先する人だったように感じます。

そういった人物は重要な仕事を任せにくく、しかも上司であれば意見がしづらいため、短所が目立ってしまいます。

しかし、仕事は出来ないけれど、場を和ませるのが上手で好かれる人物もいます。

義昭も将軍という偉い立場から解放された後は、その長所を十分に活かすことが出来たのではないでしょうか。

だからこそ将軍を辞めた後も良い待遇を与えられ、最期まで穏やかに過ごすことが出来たように思えます。

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まとめ

・プライドが高い野心家で信長を利用

自分を助けてくれた存在であっても、信長の事を下の立場だと考えていたように思います。

将軍という立場に対する強い誇りを持っており、野心家でもあったと言えそうです。

・外交的で世渡り上手

そして義昭は多くの大名に働きかけ、信長包囲網と呼ばれる反信長連合を作ります。

信長が上手く対応して連合が崩壊しても、義昭は再び様々な大名や勢力に働きかけ、合計3回も連合を成立させており、外交面では優秀な人物だったようです。

・足利義昭の特徴:鞘公方

肖像画は残っているのですが、これといった特徴だった容姿の持ち主ではなかったようです。

・足利義昭の逸話・いい話・エピソード

  • 豊臣秀吉の話し相手
  • 信長を父と称え感謝していた

 

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シゲゾウ
アラサーのエンタメ好き兄ちゃんデス。 教育関連の仕事に就いています。 エンターテイメントを肌で体感してあなたに新鮮な感動と興奮する情報をお届けします!!! やってみなきゃ分からない!をモットーに何にでも前のめりで挑戦していきます!!