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映画「関ヶ原」の三杯の茶(三献茶)を三成が秀吉にするシーンの意味や理由は?実話なのかについても

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映画「関ヶ原」は木村拓哉×二宮和也主演で話題にもなった「検察側の罪人」の原田眞人監督が司馬遼太郎原作の歴史小説「関ヶ原」を映画化した作品です。

あまりにも難解で歴史が頭に入っていない人には何を話しているのかも聞き取りづらい初見殺しな作品ですが、噛み砕いていけば楽しめる作品になっています。

今回はその冒頭の豊臣秀吉(滝藤賢一)が石田三成(岡田准一)を家来にするに至った決定だとなるお茶について、どういったことから秀吉は家来にすることを決めたのかの理由。

そしてこの逸話のもつ意味についてご紹介します。

映画「関ヶ原」の三杯の茶(三献茶)のシーン

映画「関ヶ原」は石田三成(岡田准一)を中心とした関ヶ原の戦いと三成の生涯を描いた作品です。

本作の冒頭には豊臣秀吉(滝藤賢一)が石田三成(岡田准一)と出会い、家来にするまでのエピソードが描かれています。

映画「関ヶ原」の原作者・司馬遼太郎のナレーションとともに描かれるこのシーン。

織田信長に仕えていた豊臣秀吉が長浜城を与えられ、その領地で鷹狩りをした際に立ち寄った観音寺で小姓をしていた少年(佐吉、のちの石田三成)と出会います。

喉の渇きを癒すために寄った寺で小姓にお茶を持ってくるように伝えます。

 

すると、小姓は大きい茶碗に7、8分の量のぬるく立てた茶をもってきます。

秀吉はそれを貪るように飲み、舌を鳴らしてもういっぱい持ってくるように命じます。

今度は湯を熱くして量は最初の半分の茶を持ってきて、またこれを飲み干しもういっぱいと命じます。

3度目には湯の量はわずか、しかし舌が焼けるような熱さの茶を持ってきた。

 

というものが三杯の茶(三献茶)という名の逸話です。

映画「関ヶ原」では三杯目を飲み干した豊臣秀吉(滝藤賢一)は佐吉(のちの石田三成)に名前は何かと尋ねます。

単純に三杯の茶(三献茶)で佐吉(のちの石田三成)を気に入り、家来にすることを決めたのではなく問答のすえに決定したことになっています。

三杯の茶(三献茶)を石田三成が豊臣秀吉にした理由や意味

三杯の茶(三献茶)の「最初は飲みやすいぬるめのお茶をたくさん→二杯目は少し熱くし量を半分→三杯目はもっと熱くして量をもっと減らす。」

このお茶の振る舞い方というのが喉の渇きを癒し、さらに飲み過ぎてしまって腹が膨れてしまうことを防ぐ良い方法なのだそうです。

また、徐々に喉の渇きが言えるに従ってお湯の量を減らし温度を上げていくことで、お茶の味わいを感じられるように工夫されています。

佐吉(のちの石田三成)が急に寺にやってきた豊臣秀吉(滝藤賢一)の喉の渇きの程度を気遣ってしたこの行いが、豊臣秀吉の心をつかむことになったと言われています。

どこか、豊臣秀吉が織田信長に対してしたわらじを胸で温めておいたという話と通じる気もします。

豊臣秀吉が石田三成を家来にしようとした理由

豊臣秀吉(滝藤賢一)が石田三成(岡田准一)を家来にすることを決めた理由として、この三杯の茶(三献茶)の気遣いに感動したためだといわれています。

しかし、映画「関ヶ原」ではこれだけでは終わりませんでした。

三杯の茶(三献茶)で石田三成(岡田准一)に対して名前を聞き、

三成「ご領内、石田村の石田正嗣が子にて佐吉と申します。」

秀吉「100石の知行をくれるっちゅうたら、どうするだ?」

佐吉(三成)「琵琶湖の湖岸には荻や葦が生えておりまする、知行をいただく代わりにその伐採に運上を・・・」

秀吉「いくらになるだ?」

宮司「これ、佐吉!ご領主様に小賢しい話を・・・!」

秀吉「宮司!こやつ気に入ったわ、城にもらってく」

「100石の知行」とは100人が1年間食べられるだけのお米を生産できる土地を与えると言っています。

それに対して三成は「琵琶湖の湖岸に雑草が生えているので、土地を与えてくれるぐらいならそれを駆除する費用をください」と返しています。

映画「関ヶ原」で描かれている豊臣秀吉(滝藤賢一)はかなり悪どいキャラクターとして描かれており、その後もこのときの話を持ち出し、

秀吉「佐吉、おみゃぁ初めてあったとき、大きい茶碗に八分のぬるま湯を持ってきたな。」

三成「上様は一気にお飲みになり、さらに一服ご所望されました。」

秀吉「次ぁ半分、その次ぁ小さいお茶碗に下が焼けるほどえっりゃぁ、ちんちんの茶・・・。あんとき儂ぁ迷った、この小憎らしい小僧を成敗したるか、家来にしたるか」

と語っています。

単純に小姓の心温まる温もりに感動して家来にすることを決めたのではなく、疑り深くいたことがわかります。

常に生と死をかけた日々を送っていた時代だけあり、いくら優しさに触れたとはいえ、自分以外は常に敵かもしれないと疑いながら生きていた時代ということを踏まえれば、映画「関ヶ原」で描かれている豊臣秀吉像というもののほうがリアルに感じます。

三杯の茶(三献茶)は実話ではない?

この豊臣秀吉(滝藤賢一)が石田三成(岡田准一)を家来にすることの決め手となった三杯の茶(三献茶)は逸話であり、実話ではないと言われています。

また、石田三成(岡田准一)も当時この寺の小姓だったのか、学問修行のために寺に通っていたのかはっきりしないなど、不確かなことが多くあります。

この三杯の茶(三献茶)は江戸時代に描かれた書物(武将感状記)にある逸話からきています。

また、石田三成の長男が書いた「霊牌日艦」には石田三成が豊臣秀吉と18のときに姫路ではじめて出会ったと記されていることから、この逸話は実話ではないとされています。

しかし、生と死の狭間で生き抜く戦国時代に心温まるエピソードがあってほしいと思ってしまいます。

まとめ

今回は映画「関ヶ原」の冒頭の石田三成(岡田准一)の幼少期、佐吉という名前だったころに豊臣秀吉(滝藤賢一)と出会い振る舞った三杯の茶(三献茶)について、その意味や理由をご紹介してきました。

また、映画「関ヶ原」での逸話との違った部分や豊臣秀吉の性格などについても解説してきました。

実話ではないとされていますが、できればどこかにそうした心温まるつながりがあったことを願わずには入られません。

 

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シゲゾウ
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