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映画「関ヶ原」侍女の「みや」は織田信長の娘?モデルとなった実在する人物についても

映画「関ヶ原」は木村拓哉×二宮和也主演で話題にもなった「検察側の罪人」の原田眞人監督が司馬遼太郎原作の歴史小説「関ヶ原」を映画化した作品です。

あまりにも難解で歴史が頭に入っていない人には何を話しているのかも聞き取りづらい初見殺しな作品ですが、噛み砕いていけば楽しめる作品になっています。

今回は徳川家康の侍女「みや」は織田信長とどういう関係なのかについて考察していきたいと思います。




映画「関ヶ原」侍女の「みや」は織田信長の娘?

映画「関ヶ原」には多くの女性が登場し、それぞれに活躍の場が与えられており、陰ながらに支えてきた女性たちの姿が印象深く描かれています。

そんな女性たちの一人、徳川家康(役所広司)の侍女「みや」は織田信長と何か関係があるのでしょうか?

侍女の「みや」とは誰?登場シーンについて

映画「関ヶ原」の終盤、関ヶ原の戦いの前日に興奮で寝付けない徳川家康(役所広司)が一人で母衣(ほろ)を竹から組み上げているときに侍女の「みや」が入ってきて徳川家康(役所広司)に体が冷えないよう服を羽織らせにやってきます。

母衣(ほろ)とは戦のときに馬に乗った武士が背中につけている赤や黒などの色をした大きく膨らんだ布を指します。

徳川家康(役所広司)は「みや」に対して、母衣(ほろ)という名称の由来と母衣(ほろ)を自分で作るのは18年ぶりだということを話します。

戦国時代の母衣(ほろ)は限られた精鋭の武士しか使うことが許されていないものだけあって、誰かに作らせるのではなく自分自身で作るものだということがこの言葉から伺えます。

侍女の「みや」は織田信長の娘?




侍女の「みや」は徳川家康(役所広司)に尋ねます。

みや「18年前に生まれた時、何があったのでしょう?」

徳川家康「信長公が本能寺で討たれた。」

この侍女の「みや」の「18年前に生まれた時」という言葉が気になります。

単純に「18年前に母衣を作った時に何があったのか?」と聞くのが自然な流れです。

そして徳川家康(役所広司)の信長が本能寺で討たれたという返答に対して目線をはずす仕草が、単純に徳川家康(役所広司)のかつての君主が亡くなった話を気の毒に思っているという風には見えません。

侍女の「みや」は何か織田信長とのつながりがある人物なのでしょうか?

はたまた織田信長の娘の一人で徳川家康(役所広司)のもとで育てられている養女なのでしょうか?

侍女「みや」のモデルとなった実在する人物は?

司馬遼太郎の作品である以上、全くの架空の女性とは考えにくいです。

徳川家康(役所広司)の侍女として「みや」に近い実在する人物がモデルとなっていると考えられます。

徳川家康(役所広司)の幼女や織田信長の娘についてみていきましょう。

家康の養女に「みや」のモデルは実在する?

徳川家康(役所広司)は家臣からの信頼も厚く、女性にも優しく侍女にも人気があった人物です。

もしかすると侍女の名前も歴史に刻まれているかとおもいましたが、この「みや」という女性がどういう出自の者かまでは、調べても特定することはできませんでした。

 

おそらくは明智光秀や織田信長といった本能寺に関連する者たちやその家臣だった者の娘ではないかと考えられます。

さすがに何の根拠もなくこのようなセリフを言わせるとは思えないので、何か歴史的に裏付けがあるものだとは思うのですが、今のところは見つけることができませんでした。

織田信長の娘に「みや」のモデルは実在する?

織田信長の娘の中に侍女の「みや」と同じ経歴の持ち主はいるのか調べてみます。

問題となるのは織田信長の娘たちに関しては多くは詳細が不明なものばかりで、歴史書によって娘の数が6〜12人とバラバラです。

この中で映画「関ヶ原」で侍女の「みや」が語るように18年前の本能寺の変のころに生まれている可能性のある娘が一人いました。

 

月明院(げつみょういん)という織田信長の9人目の娘で、公家の徳大寺実久の正室となった女性です。

出生日はわかりませんが、徳大寺実久の出生や長男の誕生の時期から本能寺の変の前後に月明院も生まれている可能性があります。

月明院の長男は関ヶ原の戦いから6年後の1606年であることから、輿入れの時期も遅かったと考えられています。

つまり関ヶ原の戦いの1600年の時点では徳川家康(役所広司)のもとで侍女として務めていたとしてもおかしくはないと言えます。

ただし、月明院は長男を産んですぐに1608年に亡くなってしまっています。

追記:侍女「みや」を演じた福富ゆきさんに質問したところお返事が

物は試しにと思い、映画「関ヶ原」で侍女の「みや」を演じられた福富ゆきさんのブログに「みや」の人物設定は何か裏設定があるのかと質問をしてみました。

その結果、なんとわざわざご返信を賜ることができました。

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残念ながら織田信長の娘といった設定がある・・・ということはなさそうですね。

侍女「みや」についての考察はこれで行き止まりとなってしまいましたが、まさかご本人から解答をいただけるとは思っていなかったので、この点は嬉しい誤算でした。

まとめ

・侍女の「みや」とは誰?登場シーンについて

映画「関ヶ原」の終盤、関ヶ原の戦いの前日に興奮で寝付けない徳川家康(役所広司)が一人で母衣(ほろ)を竹から組み上げているときに侍女の「みや」が入ってきて徳川家康(役所広司)に体が冷えないよう服を羽織らせにやってきます。

・侍女の「みや」は織田信長の娘?

単純に「18年前に母衣を作った時に何があったのか?」と聞くのが自然な流れです。

織田信長の娘の一人で徳川家康(役所広司)のもとで育てられている養女なのでしょうか?

・家康の養女に「みや」は実在する?

何の根拠もなくこのようなセリフを言わせるとは思えないので、何か歴史的に裏付けがあるものだとは思うのですが、今のところは見つけることができませんでした。

・織田信長の娘に「みや」は実在する?

月明院(げつみょういん)という織田信長の9人目の娘で、公家の徳大寺実久の正室となった女性が、本能寺の変の前後に月明院も生まれている可能性があります。

 

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