邦画 PR

映画「関ヶ原」三成と家康が起こしたお地蔵さんの意味は?桃配山や大海人皇子についても

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

映画「関ヶ原」は木村拓哉×二宮和也主演で話題にもなった「検察側の罪人」の原田眞人監督が司馬遼太郎原作の歴史小説「関ヶ原」を映画化した作品です。

あまりにも難解で歴史が頭に入っていない人には何を話しているのかも聞き取りづらい初見殺しな作品ですが、噛み砕いていけば楽しめる作品になっています。

今回は映画「関ヶ原」の冒頭で石田三成(岡田准一)が起こし、終盤でも徳川家康(役所広司)が起こしたお地蔵さんについて。

また関ヶ原と桃配山や大海人皇子との関係についてご紹介します。

映画「関ヶ原」三成と家康が起こしたお地蔵さんの意味は?

映画「関ヶ原」三成と家康が起こしたお地蔵さんの意味はなんでしょうか?

お地蔵さんは何を祀っている?

映画「関ヶ原」には二度、お地蔵さんが現れます。

そしてそれらは同じ関ヶ原の平原にある一体の小さなお地蔵さんで一度目は石田三成(岡田准一)が、二度目は徳川家康(役所広司)が手にします。

このお地蔵さんがなんのためにこの地に祀られているのか?は特定できませんでしたが、一般的にはお地蔵さんは極楽浄土に行けない人たちが地獄に落ちないようにすがり求める対象としてあります。

そこから転じて、人々に降りかかる苦難や厄災を身代わりしてくれる対象でもありました。

石田三成がお地蔵さんを起こした流れと意味

石田三成(岡田准一)は映画「関ヶ原」の冒頭で軍師である島左近(平岳大)とその息子・島信勝(山村憲之介)とともに関ヶ原の戦いの前日に、関ヶ原を馬で駆けてきます。

そのときに見かけた倒れている小さな地蔵に立ち寄ってお社の中に立てて、石田三成は(岡田准一)は「こんなに小さいお地蔵さんでも1000年前の大海人皇子(おおあまのおうじ)が戦いをこの地で起こした記憶を宿しているかもしれない。」と言い、拝んで行きます。

大海人皇子が壬申の乱で勝利したことを受けて、石田三成(岡田准一)もここ関ヶ原で戦いをするのでその験担ぎとしての意味が込められています。

徳川家康がお地蔵さんを起こした流れと意味

映画「関ヶ原」の終盤、関ヶ原の戦いが終わり血や死体が散らばる平原を徳川家康(役所広司)が歩いています。

そのときに映画冒頭で石田三成(岡田准一)が起こしたお地蔵さんの近くで死んでいる女を発見します。

「村の女か・・・哀れなもんじゃ」と呟き、女の横に倒れているお地蔵さんを拾い上げてお社の中に立てて拝みます。

直前に「村の女か」と言っていることから、死んでしまったこの女のために拝んでいると言えます。

西軍を殺し業を背負い、そして殺された東軍の兵士たちのことを思っても拝んでいます。

関ヶ原の戦場が桃配山になった理由や大海人皇子について

関ヶ原の戦場が桃配山になった理由はなんでしょうか?

また、伝説として話されている大海人皇子についてみていきましょう。

大海人皇子とはどんな人物?

映画「関ヶ原」で石田三成(岡田准一)がお地蔵さんを拝んだときに関ヶ原で大海人皇子が壬申の乱のために挙兵したという話をしています。

大海人皇子とはのちの天武天皇です。

大海人皇子の兄である天智天皇には息子がおり溺愛していました。

本来は兄弟の皇位継承権の方が優位であるにも関わらず、弟のおおあまのではなく息子の大友皇子を次の代の天皇にすることを決めました。

天智天皇はこれを受けて大海人皇子が謀反を起こすと思い、殺害しようとしますが、それより先に大海人皇子は天智天皇の動きを読んで一度身を隠して戦の準備をし、天智天皇の死後に大友皇子を倒すために関ヶ原で挙兵し、672年の壬申の乱で勝利を収めて次の代の天皇につくことができました。

 

なにやら豊臣秀吉(滝藤賢一)の息子・秀頼と豊臣秀次の謀略を思い出させられます。

桃配山にまつわる伝説や歴史

壬申の乱において大海人皇子が兵士たちの士気を上げるために名産品である桃を配り、壬申の乱に勝利したと言われています。

そのことに由来して桃配山(ももくばりやま)と呼ばれるようになったとされています。

徳川家康(役所広司)が桃配山に本陣をかまえたのはこの壬申の乱の大海人皇子の伝説にあやかり、験担ぎをしたと言えます。

©2017 「関ヶ原」製作委員会

石田三成(岡田准一)も徳川家康(役所広司)もともに大海人皇子にあやかったものの、結果としては徳川家康(役所広司)の願いが受け届けられて形になりました。

まとめ

・関ヶ原のお地蔵さんは何を祀っている?

このお地蔵さんがなんのためにこの地に祀られているのか?は特定できませんでしたが、一般的にはお地蔵さんは極楽浄土に行けない人たちが地獄に落ちないようにすがり求める対象として、人々に降りかかる苦難や厄災を身代わりしてくれる対象でもありました。

・石田三成がお地蔵さんを起こした流れと意味

大海人皇子が壬申の乱で勝利したことを受けて、石田三成(岡田准一)もここ関ヶ原で戦いをするのでその験担ぎとしての意味が込められています。

・徳川家康がお地蔵さんを起こした流れと意味

関ヶ原の戦いに巻き込まれ死んでしまった女のため、また西軍を殺し業を背負い、そして殺された東軍の兵士たちのことを思っても拝んでいます。

・大海人皇子とはどんな人物?

関ヶ原で大海人皇子は大友皇子を壬申の乱で倒すために挙兵しています。

大海人皇子とはのちの天武天皇です。

・桃配山にまつわる伝説や歴史

壬申の乱において大海人皇子が兵士たちの士気を上げるために名産品である桃を配り、壬申の乱に勝利したと言われています。

徳川家康(役所広司)が桃配山に本陣をかまえたのはこの壬申の乱の大海人皇子の伝説にあやかり、験担ぎをしたと言えます。

 

いつもたくさんのコメントありがとうございます。他にも様々な情報がありましたら、またコメント欄に書いてくださるとうれしいです。

ABOUT ME
シゲゾウ
アラサーのエンタメ好き兄ちゃんデス。 教育関連の仕事に就いています。 エンターテイメントを肌で体感してあなたに新鮮な感動と興奮する情報をお届けします!!! やってみなきゃ分からない!をモットーに何にでも前のめりで挑戦していきます!!