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山月記・なぜ虎になった理由まとめ|3つの抜き出しと象徴や原因についても

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高校の国語・現代文の授業で扱われることの多い中島敦の「山月記」は非常に難解で意味不明に感じてしまう作品です。

今回は「山月記」の李徴がなぜ虎になったのか?その理由についてまとめてみましょう。

また、原因や理由を表している3つの箇所の抜き出しや、虎が象徴しているものについても紹介します。

「山月記」なぜ李徴は虎になった理由まとめ

中島敦の「山月記」に出てくる李徴はなぜ虎になったのか?

まずは李徴が虎になった流れから見ていきましょう。

李徴が虎になった流れ・経緯は?

中島敦の「山月記」は冒頭から李徴の人物像について描かれています。

本文についてはこちら

李徴は科挙の試験に若くして合格することができる優秀な人物で役人としての人生を歩むかと思われていましたが、その自尊心の高さも相まって役人として成り上がっていくことを受け入れられませんでした。

詩人として後世に名を残すような人物になろうと役人を辞めて専念しますが、いっこうに認められる気配はなく生活は日に日に貧しくなっていきます。

妻子ある身だったこともあり、このままではいけないと思い夢を諦めて役人としての人生をやり直すことに決めます。

今回は役人と言ってもエリートではないただの地方の役人、かつての同期はすでに出世をしています。

昔は下に見ていた同期たちから命令される日々に耐え続けていたある時、出張先の宿に泊まった夜に発狂して宿を飛び出しそのまま行方不明になってしまいました。

 

のちに、発狂して行方不明となった事件について李徴自身は発狂したのではなく、「闇の中から自分を呼ぶ声」を聞いて、声の主を追って森の中に入って行ったと語っています。

そうしているうちに徐々に両手を使って地面を駆るようになり、体毛は全身を覆い、気づけば虎になっていました。

なぜ李徴は虎になったのか理由・原因の注意点

中島敦の「山月記」を国語・現代文の授業で扱う際に「李徴はどうして虎になってしまったのか、その理由は何か?」という点は大きなテーマの一つになります。

定期テストでも出題されたりすることの多い内容なのですが、李徴が虎になった理由をどう答えるべきかは授業でどのように扱われたかによって変わります。

あるいは出題の文章によっても変わってきます。

 

中島敦「山月記」の中で「虎になった理由」として書かれていることはどれも李徴本人が考察しているものに過ぎません。

なので、出題意図として「李徴の主張している”虎になった理由”は何か?」という意味なのか、それとも「作品全体を通して”虎になった理由”は何か?考察せよ」という意味なのか、どこまでを求められているのかによって解答は変わってきます。

ざっくりと言ってしまえば次のようなイメージです。

出題意図 解答
李徴の主張している”虎になった理由”は何か? 本文中の李徴の3つの要点を答える
作品全体を通して”虎になった理由”は何か?考察せよ 理由は不明であり、理不尽を受け入れていくことがさだめ

 

ただし、多くの場合は定期テストで「李徴が虎になった理由」を問われた場合には「本文中に沿った解答」が求められています。

そのため「李徴が主張している”虎になった理由”は何か?」という観点で理由・原因をまとめていきます。

 

最後に少しだけ「虎になった理由」が書かれていないとした場合の考察についても紹介します。

なぜ李徴は虎になったのか理由・原因は?

「李徴が虎になった理由を本文の中から一つに絞れ」と言われれば授業でもくどいほどに説明をされた「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という表現になります。

ただし李徴の考察としては「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という一点のみではなく、いくつかの要素が合わさったことで虎になったと考えています。

 

この他に「飢え凍えようとする妻子のことを第一に思えない性格」についても李徴は言及しています。

そしてもう一つは「詩、詩人として名をなすことへの異常なまでの執着」が挙げられています。

李徴が虎になった理由まとめ

あくまで李徴自身の考察を根拠とした「虎になった理由は何か?」という解答としては次のようなまとめになります。

 

李徴は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を抱えており、自尊心がある割りに人一倍羞恥心も強いために自身の詩の才能を磨くことができませんでした。

妻子のことも思っているようで大切に思い切れていない、そして役人として出戻ったことでさらに自分自身のプライドは傷つけられたことでやり場のない怒りにも似た汚い心が徐々に増していったことで虎になりました。

 

すべての行動の原因としては「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」と言えます。

特には

おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

という表現からも「尊大な羞恥心」が元凶だと絞った言い方もできます。

李徴が虎になった理由は不明とした場合の考察

すでに述べたとおり、定期テストで「虎になった理由」を聞かれたときに「理由は不明」という解答は適切ではありません。

あくまで授業中の議論として考えられる「虎になった理由は不明」が適切な答えだとなり得る状態について見ていきます。

そして「虎になった理由は不明」とした場合に見えてくることは何か?についても紹介します。

 

李徴が虎になった理由として挙げられる

  • 「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」
  • 「妻子を大切にしなかったこと」
  • 「詩への執着心」

はどれも「虎になった理由」としては不十分です。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」ではない?

プライドは高く「俺ならやればできる」と思っている人は多くいます。

それと同時に「もし失敗したら恥ずかしいしやりたくない」と思っていることはごく当たり前な考え方で、決して李徴だけが持つことができるものではありません。

李徴は

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。

おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

と言っていますが、尊大な羞恥心を猛獣のように飼っている人も特殊な例ではなく日本人にはありがちではないでしょうか?

「妻子を大切にしなかったこと」ではない?

李徴は「尊大な羞恥心」を猛獣として飼っていたと考察した後に

これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

と言っています。

李徴は妻子を全く顧みずに苦しめ続けたのかと言えばそうではありません。

一度はエリート官僚コースをはずれて詩人として大成を夢見た後に

数年の後、貧窮にえず、妻子の衣食のためについに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。

と語られています。

本当に妻子のことを顧みない人物ならば、たとえ妻子が飢え死しようが自分の夢のための道具として利用するぐらいの人物であって然るべきです。

むしろ李徴は自分の夢と妻子とを天秤にかけた結果、妻子を選ぶことができています。

 

行方不明になったときについて「発狂した」と語られていますが、李徴本人は「闇の中から自分を呼ぶ声を追っていった」と主張しているため、妻子を捨てる意思は明確には持っていなかったと考えられます。

「詩への執着心」ではない?

夢である詩人としての大成と妻子の人生を天秤にかけたときに一度は捨てているものの、虎に変貌した後にも

作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

と袁傪に語っています。

例えばミュージシャンとして世に出たかったものの、人気が出ずに引退して会社員として働いており、こっそりと休みの日に自作の曲を作り続けることはいけないのでしょうか?

夢を諦めたからと言って完全に断ち切ることができる人もいれば、心のどこかで燻り続けている人もいます。

 

つまり、李徴が虎になった理由として自分自身で考察している内容はどれも特段珍しいものではなく、誰しもが感じたり行動したりしてしまうごく当たり前なものです。

だからこそ李徴自身も

しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々にはわからぬ。

理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。

と語っています。

どれだけ李徴なりに理由を考えてみても、虎になった明確な理由としては足り得ないと言えます。

このあたりは原作となった「人虎伝」では李徴は放火殺人を行った報いとして虎に姿が変わった点を、中島敦が「山月記」として執筆するにあたり改変した影響とも言えます。

そして李徴の姿は中島敦自身を色濃く反映した存在であり、中島敦も作家としての人生ではなく不本意ながら教師として働いていた自分を投影しています。

そうした中島敦の心の葛藤を表したものとして、「自分自身の夢との向き合い方を見誤れば、全てが台無しになってしまう」という自戒を込めて李徴に虎になるという人生を用意したと考えられます。

 

ここでもう一つ、李徴は作者・中島敦を投影した存在だとすると見えてくるものがあります。

それは「闇の中から自分を呼ぶ声」に従って森の中に入り虎になってしまい、少しずつ人間である自分を忘れて虎である自分に侵食されていったことで

己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。

と語っています。

「闇の中から自分を呼ぶ声」とは自尊心を傷つけられることも、妻子のことも気にせずに、詩のことも考えないあるがままに、周囲のことを一切気にしないで生きたいという自分自身の心の声と捉えられます。

その「醜い欲望に従って生きられればどれほど幸せなのか」という気持ちと同時に、「人間として理性的に社会の中で大成しなければいけない」という気持ちとの狭間で揺れ動く中島敦自身の悶々とした気持ちを表している、だからこそ明確な「虎になった理由」など存在しないと言えます。

「山月記」李徴が虎になった理由3つの抜き出しポイントや象徴は?

中島敦の「山月記」で、李徴が虎になった理由として3つの抜き出しポイントはどこなのか?

また、李徴が虎にならなければならなかった理由は何か?「虎」は何を象徴しているのかについてみていきましょう。

「山月記」李徴が虎になった理由3つの抜き出しポイントは?

改めて、あくまで定期テストとして「答え」を求められたときを想定した話に戻ります。

中島敦「山月記」で李徴が虎になった理由を3つ抜き出せと問われれば、次のようになります。

尊大な羞恥心と臆病な自尊心

後半に登場する李徴の考察の中の

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。

おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

といった部分がこれにあたります。

李徴自身がすべての行動の原点、体までも虎になったのは心の中に虎を飼っていたからと話しており、その「心の中の虎」として本文の中に登場する箇所です。

妻子を顧みない性格

本文の最後の方で李徴が

飢え凍えようとする妻子のことよりも、おのれの乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身をとすのだ。

と語る場面があります。

自分自身が作り、まだ世に発表できていない詩を袁傪に託してから(自分が人間だったなら)「そんなことよりも、第一に袁傪に頼むべきだったのは残された妻子のことだった」と自戒しています。

詩への執着心

すでに妻子についての自戒としても、徐々に人間として自分自身が失われていく中で、過去に作った詩を残したいと思い続けていることは強い「詩・詩人として大成することへの執着」の現れと言えます。

妻子についての文と違うところとしては

作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

という部分も挙げられます。

「山月記」虎は何の象徴?

中島敦の「山月記」で李徴はどうして虎になったのか、虎は何の象徴なのかを考える時の一つの答えは、「原作となった人虎伝で李徴が虎になったから」というものが挙げられます。

原作・人虎伝の李徴は未亡人の女性と付き合い、そのスキャンダルがバレたことで放火殺人を犯して逃亡しています。

罪の代償として虎になったと言えます。

 

虎の持つイメージは、やはり獰猛な猛獣で孤高の存在、肉食なので見方によっては残忍とも言えます。

 

また、中国における虎の持つイメージとしても「暴虐・粗暴」といったものや人を虎に例えてきました。

他にも

  • 完璧主義でプライドが高い
  • 注目をされたいが保守的・内向的
  • 負けず嫌い

といった性質を持っています。

まさに李徴の性格を表した存在とも言えます。

まとめ

・李徴が虎になった流れ・経緯は?

徐々に両手を使って地面を駆るようになり、体毛は全身を覆い、気づけば虎になっていました。

・なぜ李徴は虎になったのか理由・原因の注意点

定期テストでも出題されたりすることの多い内容なのですが、李徴が虎になった理由をどう答えるべきかは授業でどのように扱われたかによって変わります。

・なぜ李徴は虎になったのか理由・原因は?

「李徴が虎になった理由を本文の中から一つに絞れ」と言われれば授業でもくどいほどに説明をされた「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という表現になります。

・李徴が虎になった理由まとめ

李徴は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を抱えており、自尊心がある割りに人一倍羞恥心も強いために自身の詩の才能を磨くことができませんでした。

・李徴が虎になった理由は不明とした場合の考察

中島敦の心の葛藤を表したものとして、「自分自身の夢との向き合い方を見誤れば、全てが台無しになってしまう」という自戒を込めて李徴に虎になるという人生を用意したと考えられます。

・「山月記」李徴が虎になった理由3つの抜き出しポイントは?

  • 尊大な羞恥心と臆病な自尊心
  • 妻子を顧みない性格
  • 詩への執着心

・「山月記」虎は何の象徴?

  • 完璧主義でプライドが高い
  • 注目をされたいが保守的・内向的
  • 負けず嫌い

といった性質を持っています。

 

いつもたくさんのコメントありがとうございます。他にも様々な情報がありましたら、またコメント欄に書いてくださるとうれしいです。

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シゲゾウ
アラサーのエンタメ好き兄ちゃんデス。 教育関連の仕事に就いています。 エンターテイメントを肌で体感してあなたに新鮮な感動と興奮する情報をお届けします!!! やってみなきゃ分からない!をモットーに何にでも前のめりで挑戦していきます!!