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映画「凪待ち」の結末・ラストやその後は?タイトルの意味についても

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映画「凪待ち」が2019年6月28日に全国公開されます。

SMAPの香取慎吾主演、数々の映画賞で監督賞を受賞し続ける白石和彌監督の初のタッグ作品ということで注目を集めています。

今回は映画「凪待ち」の結末・ラストやその後はどうなったのか?についてと、「凪待ち」というタイトルに込められた意味についてご紹介したいと思います。

映画「凪待ち」のあらすじは?

映画「凪待ち」は香取慎吾演じるギャンブルとアルコール依存症のどうしようもない一人の男の荒れ狂う人生を描いた「喪失と再生」の物語です。

ギャンブルとアルコール依存に陥った木野本郁男(香取慎吾)は神奈川県の川崎市にある印刷工場で働いていましたが、退職勧奨を受けて退職したものの再就職先が見つからず、退職金もギャンブルに使い果たし交際相手の女性の元でヒモ同然の生活をしていました。

郁男と交際している昆野亜弓(西田尚美)とその連れ子・美波(恒松祐里)は実家・宮城県の石巻に住む亜弓の父・勝美(吉澤健)の肺がんが深刻であり、余命半年と宣告されたことから石巻に帰って父とともに暮らすことを決意します。

郁男(香取慎吾)もギャンブルから足を洗うこととアルコールを控えるという条件を飲み、共に石巻で暮らすことになります。

 

新しい暮らしが始まったものの、郁男(香取慎吾)は職場仲間に誘われてヤクザが取り仕切るノミ屋で競輪を再開し、亜弓(西田尚美)は些細なことをきっかけに口論となり飛び出した娘・美波(恒松祐里)を探しに出かけましたが何者かによって殺されてしまいます。

映画「凪待ち」の結末・ラストは?

亜弓(西田尚美)を殺した犯人が捕まれば解決して平穏な暮らしをなんとか送ることができるのではないかと思われましたが、亜弓を殺したのは父・勝美(吉澤健)の世話をして郁男(香取慎吾)の就職の面倒までみてくれていた近所に住む小野寺(リリー・フランキー)でした。

あまりにも意外な人物すぎて郁男(香取慎吾)にはその現実が受け入れられずにいました。

小野寺が亜弓を殺した動機や理由についてはこちら

映画「凪待ち」の犯人は誰?ネタバレ・亜弓を殺した動機や理由は?

犯人が逮捕された報告も兼ねて、郁男(香取慎吾)は美波(恒松祐里)と勝美(吉澤健)とともに亜弓(西田尚美)の墓参りに行きます。

そこで郁男(香取慎吾)は勝美(吉澤健)から、亜弓(西田尚美)の死の償いをしたいというのなら美波(恒松祐里)と一緒に暮らすように求められます。

自分のことを「どうしようもないろくでなし」と思っている郁男(香取慎吾)は一緒にいれば美波(恒松祐里)までも不幸にしてしまうと思い、こっそりと置き手紙を残して石巻を出ることにします。

その夜、川崎に住んでいた頃の競輪仲間の渡辺から電話があり、久しぶりに声を聞きたかったと連絡があります。

渡辺は酔っ払っているようで、競輪で大勝利したと話していました。

 

そして石巻を出る日、たまたま見かけたテレビで傷害事件のニュースが流れます。

その内容は川崎の印刷所に男が侵入して従業員を襲い重軽傷を負わせて逃走していた、潜伏していた容疑者を逮捕したというニュースでした。

なんとその犯人とは昨夜電話で話していた渡辺でした。

郁男(香取慎吾)はそのニュースを見て自分を省みます。

渡辺は職場でいじめにあい、退職することになってしまいます。ニュースではその腹いせに従業員を襲ったと言われていますが、郁男(香取慎吾)は渡辺がついに自分の境遇に立ち向かい、打ち勝ったのだと理解します。それに比べて結局逃げ続ける自分はどうなのか?と。

郁男(香取慎吾)は石巻にある違法賭博のノミ屋の元へ向かいます。

かつてノミ屋に郁男(香取慎吾)の勝ちをもみ消され、泣き寝入りしたことがありましたが、その勝ちを取り返すためにやってきました。

しかし相手はヤクザということもあり、郁男(香取慎吾)は暴行された上で事務所へと連れて行かれてしまいます。

そこに事件を聞きつけた勝美(吉澤健)が助けに来てくれて、どうにか話は丸く収まり、郁男(香取慎吾)は勝美と美波(恒松祐里)の家へ帰ることに。

翌日、ノミ屋のヤクザがかつての配当金をもって現れ、郁男(香取慎吾)はその金で勝美(吉澤健)の船を買い戻すことに成功します。

その日の昼食を3人で囲んだとき、郁男(香取慎吾)は勝美(吉澤健)に船の鍵を渡し、勝美はそれを受けて婚姻届を郁男に渡します。

そこには亜弓(西田尚美)の署名がされていました。

翌朝、船に3人で乗って沖の方に向かい、婚姻届を海に浮かべました。

映画「凪待ち」のタイトルの意味とは?

映画「凪待ち」のタイトルに込められた意味はなんでしょうか?

物語で描かれている主人公・郁男(香取慎吾)は荒れ狂う人生を送っています。

そして宣伝でも彼の人生に平穏は来るのか?といったことが謳われています。

そこから言えることはこの「凪待ち」とは、荒れた心に凪いだ時がくることを待っているという意味が込められていると言えます。

 

そして、最後の一節から言えること。

まだ、海は荒れていた。

この一文で物語は締められています。

「まだ」ということは、これからは海は穏やかになっていくということが言えます。

これはそのままの意味としては、荒れた人生を送ってきた郁男(香取慎吾)もこれからは穏やかな人生を送ることができることを暗示しています。

 

それともう一つは、舞台となっているのが震災の爪痕が今なお残る宮城県の石巻であることを踏まえると、震災の復興への願いが込められているとも言えます。

まとめ

今回は映画「凪待ち」の結末・ラストについてをご紹介してきました。

また、「凪待ち」というタイトルに込められた意味についても物語を踏まえて考察してみました。

小説版にはここにご紹介したこと以外にも多くのことが描かれています。

ぜひ、ご興味を持たれた方は一度読んでみていただければと思います。

 

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シゲゾウ
アラサーのエンタメ好き兄ちゃんデス。 教育関連の仕事に就いています。 エンターテイメントを肌で体感してあなたに新鮮な感動と興奮する情報をお届けします!!! やってみなきゃ分からない!をモットーに何にでも前のめりで挑戦していきます!!