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三島由紀夫の人物像や魅力|作品の特徴や天才の理由や生涯について

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2020年は三島由紀夫の没後50年のいわく付きの都市でもあります。

今回は三島由紀夫の人物像や魅力について紹介します。

また、作品の特徴や天才の理由や生涯についても解説します。

三島由紀夫の人物像や魅力とは?

三島由紀夫の人物像や魅力とはなんでしょうか?

三島由紀夫の人物像や魅力

三島由紀夫は官僚の家に生まれ、東大を卒業後、一時は大蔵省(現在の財務省です)で働いていたというエリートですが、なかなか愉快な人物だったようです。

有名な事件としては太宰治との口論があります。

大学生だった21歳の時、既に有名作家だった太宰治に向かって「太宰さんの文学は嫌いだ」と言い放ちます。

驚いた太宰は「嫌いなら来なければいいだろう。こうして来てるんだからやっぱり好きなんだよなあ」とつぶやくと、気まずくなった三島はその場を離れました。

非常に大胆で、衝動的に行動してしまう人だったようですね。

美輪明宏との交友関係:少年のような純粋さ

そして三島と親しかった人物として有名なのは、歌手で俳優の美輪明宏さんです。

お互いに冗談を言い合ったりするほど仲が良かったそうで

  • ひどい音痴だったが一週間で直してしまった。一度言われたことは絶対忘れない、物凄い記憶力と集中力の持ち主だった。
  • 自分が貧しくてお金に困っている事を三島が知った時、何故借りに来ないんだと言われた。
    あなたに借りを作って引け目を感じたくないと答えたら、三島は「そこまで僕を買ってくれてありがとう」とお辞儀した。
    この人は本当に信頼できる人なんだと思った。

など、三島の人柄について語っています。

三輪さんの話によれば少年のように純粋な人だったようです。

三島由紀夫はホモ・ゲイなのか:バイセクシャル

また三島はバイセクシャルだったようで、三輪さんに「君は才能もあるし美貌もあるが、俺に惚れないという短所がすべてを吹き飛ばしてしまう」と語ったそうです。

これに対して三輪さんは「恋愛感情を持ったらグレードが落ちてしまう気がするから、尊敬している三島さんに恋愛感情を持つことは無かった」と話しています。

このやり取りからも、三島由紀夫のユーモラスな性格と、三輪さんが三島の才能と人柄の両方を大切に思っていた事が分かります。

三島由紀夫作品の特徴や天才の理由

三島由紀夫作品の特徴や天才と評される理由を紹介します。

三島由紀夫作品の特徴や魅力:儚く美しい文章

三島由紀夫の作品は、豊かな表現力から生み出される美しい文章が大きな特徴です。

現実の生々しさをそのまま描くのではなく、あえて華やかに美しく書く事で、日常の奥底から人間の本質を浮かび上がらせてドラマにすることが出来るのだと言っています。

登場人物の感情を一歩引いたところから書く事で、逆に読者からは登場人物の本質が見えてくるという人物の描き方は、三島作品ならではの魅力だと思います。

作品には生と死や悲劇、大和魂、日本の雅などをテーマとしたものが多いのですが、共通する一本の柱があるように思います。

それは徹底的に「美しいとはどういうことなのか?」を追求する事です。

特に、登場人物が死ぬ場面などの悲劇的なシーン、寂しさの残る物語のラストシーンなど、日本的なもの、侘び寂びのようなものを美しいと感じていた三島の感性が良く分かります。

三島由紀夫が天才と言われる理由:文化の融合と幅の広さ

社会的な事件や問題を題材にする事もあり、代表作である「金閣寺」も1950年に起こった金閣寺放火事件を題材にしています。

古代から中世、そして近世の日本文学とヨーロッパの古典劇などに詳しかった事から、日本独自の文化や価値観を西洋の文学に上手く融合させることが出来た作家とも言われています。

また、三島由紀夫は小説、エッセイ、評論、そして戯曲(演劇の脚本の形で書かれた作品)と、多種多様な作品を残しています。

更に映画出演、写真のモデル、音楽作品にも関わったりと、様々な形の芸術表現を行いました。

三島は古典文学に詳しかった一方、漫画や映画なども好んでいたようで、あしたのジョーを愛読し、ウルトラマンをよく観ており、ゴジラを絶賛しています。

伝統的なものから最新の流行まで様々な分野にアンテナを張り巡らせていた事が、多彩な作品作りに活かされていたのではないでしょうか。

三島由紀夫の生涯・割腹自殺の理由や意味・影響について

三島由紀夫の生涯や、割腹自殺を行なった理由や意味はなんなのか?

また割腹自殺が与えた社会への影響について紹介します。

三島由紀夫の生涯

まず、三島由紀夫の人生と昭和という時代が深く結びついていた事を紹介しておきます。

三島は大正14年(1925年)生まれですが、この翌年1926年が昭和元年です。

昭和12年(1937年)に日中戦争が始まっているので戦時中に思春期を過ごし、昭和20年(1945年)20歳で敗戦を経験しています。

これが三島由紀夫の思想に大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。

さて三島由紀夫は本名を平岡公威といい、祖父も父も官僚で、お手伝いさんを何人も雇えるような裕福な家に生まれました。

しかし病弱であったため、子供の頃は祖母によって過保護に育てられました。

16歳の時に初めて三島由紀夫名義で「花ざかりの森」という短編小説を書き、これが雑誌に掲載されます。

戦争の真っ最中も学生作家として小説を書いていましたが、なかなか作品を発表する機会に恵まれませんでした。

しかし終戦後、川端康成に出会った事で作家としての道が開けます。

そして24歳の時に書いた「仮面の告白」で世間に認められ、一躍有名作家になります。

そんな三島にとって大きな転機となったのは、30歳で始めたボディビルです。

自分の貧弱な体にコンプレックスを持っていた三島は、トレーニングによって体がどんどん頑丈になっていく事に快感を覚えたようで、生涯ボディビルを続けます。

一方で、既に自分が死ぬときの事を考えていたのではないかとも言われています。

死んだ時に人に見られても恥ずかしくない体でありたいと考えていたというのです。

晩年には「作家なのになぜ体を鍛えているんですか」という質問に、「僕は死ぬときに切腹するんだ」と冗談めかして答えたそうですが、これは本心だったのではないでしょうか。

 

40代に入ってからは政治的な活動に力を入れ始めます。

1968年(昭和43年)には民間人による軍事組織、楯の会を結成します。

元々は「祖国防衛隊」と名乗っており、テロや暴動から日本を守るために作った組織です。

そして昭和45年(1970年)に自衛隊への突入事件を起こし、45歳で自殺しました。

遺作となったのは昭和40年(1965年)から昭和46年(1971年)まで連載された「豊饒の海」四部作です。

この最後の原稿を渡した日に、三島由紀夫は亡くなりました。

三島由紀夫の割腹自殺の理由・意味や影響

三島由紀夫の最期は衝撃的なものでした。

昭和45年(1970年)11月25日、楯の会の会員4名と共に陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地を訪れると、そのまま人質を取ってたてこもりました。

そしてバルコニーで演説を行いました。

事件当時の社会情勢は、日本も再び戦争が起こった時のことを考えなければいけない状況でした。

1960年代後半はベトナム戦争が激しくなっており、日米安全保障条約が1970年に自動的に延長されることが予定されていたこともあり、学生による政治活動が激しくなっていました。

三島は、国を守るために憲法を改正し、自衛隊を軍隊として認めさせたいと思っていました。

そこで自衛隊にクーデターを起こして貰い、国会を占拠して憲法改正を訴えようと考えていたようで、自衛隊員に向かって武士として立ち上がるように訴えかけたのです。

しかしその演説は、野次や報道ヘリコプターの騒音によって自衛隊員たちにはほとんど届きませんでした。

すると三島は人質にしていた自衛隊の総監に「自衛隊を天皇にお返しするため、こうするより仕方なかったのです」と話した後、総監室で腹を切って死亡しました。

この時人質にされていた総監は、後に「憎いという気持ちはない。純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい」と語っています。

武士道とはこういう事だと、身をもって示した切腹だったようです。

結局、三島が望んだ通りに憲法改正が行われることはありませんでした。

しかし彼は「自分の思想は50年後に理解されるだろう」と言い残しています。

自衛隊は軍隊ではないため、活動内容には制限があります。

もし日本が外国から攻められた時、このままで大丈夫なのか。

憲法では軍隊を持たない事に決められているから、やはり自衛隊があってはいけないのではないか。

こういった自衛隊と憲法をめぐる問題は、50年経った今まさに活発に議論されています。

三島由紀夫の切腹は、日本をどうやって守るのかを真剣に考えて欲しいという、時代の先を見据えたメッセージだったように思います。

まとめ

・三島由紀夫の人物像や魅力

非常に大胆で、衝動的に行動してしまう人だったようです。

・美輪明宏との交友関係:少年のような純粋さ

三輪さんの話によれば少年のように純粋な人だったようです。

・三島由紀夫はホモ・ゲイなのか:バイセクシャル

また三島はバイセクシャルだったようで、三輪さんに「君は才能もあるし美貌もあるが、俺に惚れないという短所がすべてを吹き飛ばしてしまう」と語ったそうです。

・三島由紀夫作品の特徴や魅力:儚く美しい文章

三島由紀夫の作品は、豊かな表現力から生み出される美しい文章が大きな特徴です。

・三島由紀夫が天才と言われる理由:文化の融合と幅の広さ

日本独自の文化や価値観を西洋の文学に上手く融合させることが出来た作家とも言われています。

・三島由紀夫の生涯

戦時中に思春期を過ごし、昭和20年(1945年)20歳で敗戦を経験しています。

・三島由紀夫の割腹自殺の理由・意味や影響

「自分の思想は50年後に理解されるだろう」と言い残しています。

こういった自衛隊と憲法をめぐる問題は、50年経った今まさに活発に議論されています。

 

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シゲゾウ
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