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神社にある象の彫刻の意味は?蛙や獏・木鼻の動物の種類についても

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神社にある社の木を眺めていると、端の方に象や犬などの彫刻がかたどられていることがあります。

神社にある象などの動物の彫刻にはどのような意味があるのでしょうか?

また、蛙・獏など木鼻や動物の種類についても紹介します。

神社にある象の彫刻の意味は?

神社にある象の彫刻の意味はなんでしょうか?

象の彫刻がある神社はどこ?:伏見稲荷や熊野神社など

象の彫刻がある神社は日本全国に点在しています。

色付きで明らかな象の姿をしているものは京都府・伏見稲荷大社です。

伏見稲荷大社の「奥宮」という社殿の柱の四隅に作られています。

この他にも兵庫県三田市にある熊野神社にも下の画像のように木彫りで目だけ色付けされた象の彫刻があります。

埼玉県越谷市の天嶽寺にも象の彫刻があります。

他にも兵庫県三田市には御霊神社、大歳神社、三田天満神社に象の彫刻があるそうです。

 

熊野神社の創立は不明です。

天獄寺は文明10年(1478年)に開山されたと言われています。

伏見稲荷大社の奥宮は長禄3年(1459年)には存在していたことが指図書から明らかとなっていますが、現在の白い象の彫刻が施された社殿は天正年間(1573〜1593年)に建立されたもので、元禄7年(1694年)に修復されたものです。

インド・ヒンドゥー教のガネーシャと象は関係ある?:江戸時代ごろが主

熊野神社や天獄寺の象の彫刻は木彫りのままの姿をしていますが、伏見稲荷大社の象の彫刻は白塗りになっています。

伏見稲荷大社の奥宮は稲荷大神を祀っているため、境内にある他の社とは別格の存在であることも理由の一つと言えます。

しかしこのように白塗りの象と寺社仏閣に存在することから、インドやネパールで信仰されているヒンドゥー教のガネーシャと関係があるのではないかと思ってしまいます。

伏見稲荷大社で神職の人に聞いて見ましたが、「どこかで関連性があるかもしれないものの直接的に意図されたものではない」とのことでした。

ガネーシャは牙を持った象の頭を持つ神ですが、片方の牙は折られています。

しかし伏見稲荷大社などの象の彫刻はそのような傾向になく、2本の立派な牙を生やしています。

また、ガネーシャはインドにおいて「現世の利益、富の神様」として信仰されていることから、系統としてはガネーシャをイメージしたものというよりは象そのものの持つ性格や、装飾が施された当時の日本人が抱いていた象のイメージが反映されたものだと考えられます。

木鼻と木端の意味は?:遊び心・おしゃれ

伏見稲荷大社の神職の人の話では、単純に「祝い事・めでたいものとして象の彫刻が施された」と話していました。

深い意味を考えないで捉えるのであれば、象の彫刻が施されている部分は単なる建築様式の結果生み出されたものに過ぎません。

鎌倉時代ごろから寺院を建築する組み木の技法として「ぬき」と呼ばれるものがあります。

柱と柱のつながりを強固にするための方法で、その際に柱の端の部分が飛び出す形になります。

この部分を木端きばな」と呼び、音だけが残って「木鼻きばな」と呼ばれるようになりました。

「鼻」という言葉通り、そこには象の鼻(頭部)をかたどった彫刻が施されています。

遊び心・おしゃれとして木鼻への彫刻がはじまったと言われています。

神社にある象の彫刻の意味は?:木鼻の装飾

神社の木鼻に描かれている象の彫刻にはヒンドゥー教のガネーシャとは別の意味合いで、象が描かれていると考えるべきです。

あくまで伏見稲荷大社の神職の人は「めでたいもの、祝い事」としてのイメージで描かれたとしか答えてくれませんでしたので、正確な答えを見つけることは難しいでしょう。

 

象に抱かれているイメージはやはりその大きさにあります。

  • 大きい存在
  • 温和
  • 強い
  • 賢い

このようなイメージが一般的にもたれています。

日本においてもナウマンゾウが石器時代などには狩猟されており、仏教の影響で象の存在は古くから知られていました。

12世紀ごろに描かれたと言われている鳥獣人物戯画にも象の特徴が描かれています。

応永15年(1408年)には初めて日本に象が渡来したと言われています。

当時の人々がどのようなイメージを象に抱いていたのかは史料として分かりませんが、その大きさに対して畏怖の念を感じたのではないでしょうか。

特に伏見稲荷大社の奥宮は、伏見稲荷大社において非常に重要な社であるため、奥宮を守ってくれる存在として四隅に施したと推測できます。

また、伏見稲荷大社はよく見ていくと一般的に抱かれる神社のイメージではなく、かなり派手で異文化な装飾が至るところに見受けられます。

下の画像は千本鳥居の直前にある灯籠で、右奥に見える社が奥宮です。

金色や鮮やかな緑色の装飾など奇抜さを感じます。

一説によると、鎌倉時代から江戸時代末期にかけて高野山の僧侶が丹生都比売神社の神職が神前で舞が演じられる中、読経が行われていたこともあったそうです。

仏教を通じて日本人が象の存在を認知していたことが、こうした期間に神道へも影響を与えていったと考えられます。

神社にある蛙や獏・木鼻の動物の種類は?

神社にある蛙や獏、象の他にどのような動物の種類の彫刻があるのでしょうか?

神社にある木鼻の動物の種類は?:蛙や獏・獅子など

象の他にも木鼻などの彫刻には、次のようなものがあります。

獅子
海蛇 百足
鹿

動物以外にも植物や雲をかたどったものなど、さまざまあります。

 

祝い事・めでたい事として施されたことが分かる例として、奈良県奈良町にある木鼻は笑っていたりします。

それぞれの動物のもつイメージ、いずれにしてもベースには社を守ることなどが意図されているように感じられます。

神社にある木鼻の種類は?:大仏様や禅宗様

木鼻自体は柱を組み合わせた結果、飛び出した部分を使って装飾が施されたものです。

江戸時代から徐々に木鼻の装飾にさまざまなデザインが施されるようになっていったと言われています。

意図的に装飾用の木鼻を作り、柱に引っ掛ける「掛鼻」と呼ばれるものも登場します。

木鼻は鎌倉時代ごろに中国から「大仏様だいぶつよう」と「禅宗様ぜんしゅうよう」と呼ばれる2種類の様式として広まりました。

大仏様

象や蛙などの装飾の先駆けとなったと考えられるのが大仏様です。

当初は非常にシンプルな作りをしており、柱の端を美しく見栄えの良いデザインにするにとどまっていたり、「猪の目の装飾」として穴が開けられたりする程度のものでした。

徐々に大仏様が動物の装飾を主張するものへと変化していき、象や蛙、獅子、獏などのデザインが施されていきます。

禅宗様

禅宗様はその後、植物や雲などをかたどった木鼻の前進です。

上の画像からも、すでに雲を意識したデザインがなされていることが分かります。

禅宗様も薄く描かれた雲や植物のデザインだったものが、次第に大胆になっていったり複雑な形や立体へと進化していきます。

こちらの画像は北海道の函館市にある高龍寺の木鼻です。

 

この他にも、折衷様と呼ばれる大仏様や禅宗様などの折衷案的な色々な様式のエッセンスを凝縮したものもあります。

まとめ

・象の彫刻がある神社はどこ?:伏見稲荷や熊野神社など

色付きで明らかな象の姿をしているものは京都府・伏見稲荷大社です。

兵庫県三田市にある熊野神社や埼玉県越谷市の天嶽寺にも象の彫刻があります。

・インド・ヒンドゥー教のガネーシャと象は関係ある?:江戸時代ごろが主

伏見稲荷大社で神職の人に聞いて見ましたが、「どこかで関連性があるかもしれないものの直接的に意図されたものではない」とのことでした。

・木鼻と木端の意味は?:遊び心・おしゃれ

柱と柱のつながりを強固にするための方法で、その際に柱の端の部分が飛び出す形になっており、この部分を「木端きばな」と呼び、音だけが残って「木鼻きばな」と呼ばれるようになりました。

・神社にある象の彫刻の意味は?:木鼻の装飾

「めでたいもの、祝い事」としてのイメージで描かれたと言われています。

・神社にある木鼻の動物の種類は?:蛙や獏・獅子など

象の他にも木鼻などの彫刻には、次のようなものがあります。

獅子
海蛇 百足
鹿

動物以外にも植物や雲をかたどったものなど、さまざまあります。

・神社にある木鼻の種類は?

木鼻は鎌倉時代ごろに中国から「大仏様だいぶつよう」と「禅宗様ぜんしゅうよう」と呼ばれる2種類の様式として広まりました。

 

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シゲゾウ
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