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首里城には何がある?なんのため・なぜ赤いのか理由についても

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首里城は2019年10月31日に全焼してしまい、寄付金が集められたり政府も早急に再建に取り組む旨を表しています。

今回は、首里城には何があるのか?

なんのために建てられており、なぜ赤いのかの理由を紹介します。

首里城には何がある?

首里城には何があるのでしょうか?

首里城は琉球王朝の城:琉球王国の首都

首里城は沖縄に存在した琉球王朝の城です。

首里城がいつごろに建設されたのかを明確に示す資料は残されておらず、発掘調査の結果からおそらく14世紀末ごろに作られたのではないか?と言われています。

およそ鎌倉幕府が滅亡し、室町時代がはじまる頃です。

 

沖縄にはいくつもお城が設置されており、その中でも首里城は王家の人々が住んでいたこともあり、当時の琉球王国にとって首都の役割を果たしていました。

首里城の施設

首里城は琉球王朝のお城だったこともあり、琉球王朝のお城がどのような建造物だったのか分かるようになっています。

どのような宮殿や門、庭などが用意されていたのかが分かります。

下の画像は首里城の全体地図です。

基本的には日本の一般的なお城と同じような役割を持った施設で構成されています。

いくつか例を挙げてみます。

正殿・御庭:首里城の中心的な建物

首里城に観光に訪れた際に最も注目される建物が正殿です。

正殿では国王が政治を行う場所として利用されたり、儀式が行われていました。

正殿の目の前には御庭という中庭広場があり、さまざまな儀式が行われていました。

御庭のタイルの赤と白の色は儀式で整列する際の目印として役立っていたと言われています。

神社の参道と同じく、基本的に中央の道を通ってはいけないとされており、国王や中国からの使者などだけが許されていました。

南殿・番所:受付と日本式の儀式の場

首里城は中国と日本の文化が融合して作られた建造物が多く、南殿と番所は日本風の作りをしています。

番所は首里城の受付所としての機能がありました。

南殿は首里城で行われる儀式の中でも日本風の儀式を行う為の場所と言われています。

書院・鎖之間さすのま・庭園:執務室と応接室

書院は国王の執務室としての役割を担っていました。

中国の使者や薩摩の役人を接待するために用いられたこともあり、茶室ではお茶を点てて振舞っていました。

鎖之間は王子たちの控室であったり、役人と懇談、お茶を点てて振舞ったりしていました。

黄金御殿くがにうどぅん寄満ゆいんち・近習詰所:王の部屋や調理場

黄金御殿は国王や王妃たちの居室・寝室として利用されていました。

寄満は黄金御殿からつながる細い建物で、国王たちの家族の料理を準備するための調理場です。

近習詰所は側近たち役人が詰めていた場所です。

側近たちは国王の雑事や出入りを行う際に付き添ったりしていました。

北殿:大臣たちの仕事場

北殿は王府の行政施設として機能しており、大臣や筆者、里之子さとぅぬしと呼ばれる役人たちが働いていました。

首里城はなんのため・なぜ赤いのか理由は?

首里城はなんのために作られたのでしょうか?

また、首里城はなぜ赤いのか理由はなんでしょうか?

首里城はなんのために作られた?:宗教上の聖地

首里城は琉球王国の王家の人たちが住んでいたお城でもあり、政治の中心地として国会のような役割も果たしていました。

さらには儀式が年中行われていたことから、文化の中心地でもあったと言えます。

また、琉球王国における宗教上の聖地としての役割も担っていました。

例えば首里森御嶽すいむいうたきという礼拝所は琉球開闢かいびゃく神話では、神が造られた聖地と言われています。(下の画像)

他にも首里城には十嶽とたけと呼ばれる10個の礼拝所がありました。

首里城南部の京の内けおのうちと呼ばれる大木の森は聖域であり、首里城発祥の地と言われています。

日本神道のように琉球神道というものが存在し、首里城にはその聖域があります。

 

このような政治や文化・宗教的な役割を他の沖縄の城も持っていましたが、淘汰されていき残されたのが首里城のみでした。

何度も全焼被害に遭い、再建が繰り返されてきましたが2000年12月には首里城跡が世界遺産に登録されました。

首里城はなんのために再建される?:沖縄の象徴・世界遺産

首里城は2019年10月31日の全焼を含め、5回にわたり損壊してきました。

そのたびに繰り返し修復・再建が行われてきたことには沖縄を450年にわたって統治した琉球王国の中心地であり、世界遺産でもあることが理由の一つだと言えます。

沖縄の歴史や文化の象徴であり沖縄の観光地といえば首里城が挙げられます。

また、琉球信仰において城そのものが聖域とみなされていたことも宗教的に保全する必要があったと考えられます。

首里城はなぜ赤いのか理由は?:諸説ある

首里城と言えば赤い建物というイメージがあります。

屋根瓦だけでなく、柱も赤色をしています。

赤い瓦の理由:人口増加とコスト削減や高貴な色

首里城といえば赤い瓦が印象的な建造物です。

赤い瓦は首里城だけでなく、沖縄の家でも多くみられるため沖縄を象徴するものと言えます。

今までに5回にわたり首里城は全焼しています。

首里城の情報を発信するサイト首里城公園によると、首里城の屋根は全焼と再建を繰り返し変化していったそうです。

 

2度目の全焼が起こるまでの間、首里城は板葺き屋根だったと言われています。

板葺き屋根とは下の画像のようなものです。

それが、2度目の火事が起きた1660年に全焼した首里城は修復・再建にあたり瓦葺きに変わりました。

しかし、当時の首里城の屋根瓦は赤色ではなく灰色の瓦だったことが発掘調査によって分かりました。

 

そして3度目の火事が1709年に起きて全焼した首里城は赤瓦を使われるようになりました。

 

灰色の瓦から赤瓦へと変わった理由は人口増加とコスト削減にあったと言われています。

年代 人口
1600年代 約10万人
1700年代 約20万人

瓦を作るためには高温で焼き上げる必要があり、そのためには大量の薪が燃料として不可欠です。

100年で人口が2倍に膨らみ瓦に回す分の薪を生活のために使う必要が出てきました。

そこで、灰色の瓦ではなく低温でも焼き上がる赤瓦が使用されるようになりました。

 

他にも、琉球王朝は薩摩だけでなく中国とも国交があり、高貴な色である赤色が首里城に取り入れられたとする説もあります。

当時は赤瓦を製作する技術は貴重であり、赤瓦の使用は庶民には禁止されていました。

明治時代に入り、一般に赤瓦の使用が許可されるようになりましたが当時はまだ高価であったことから板葺き屋根が主流で、徐々に憧れの赤瓦へと変化していったと言います。

 

さんち〜工芸と探訪〜によると、赤瓦は17世紀後半(1600年代末)から作られ沖縄南部にクチャという泥岩を使って作られているそうです。

黒い土であるクチャは鉄分を多く含んでおり、熱せられることで酸化して赤い瓦が生まれます。

沖縄全土で屋根瓦といえば赤い瓦となっている理由は、単純な色彩美だけでなく吸水性にもあります。

急な長雨でも水分を吸収して晴れれば水分が蒸発し、気化熱で室内を涼しくすることができ、日差しにも強く乾燥しにくく割れにくい特徴を持っています。

柱や壁が赤い理由:弁柄桐油の使用

首里城の正殿のように屋根が赤いだけでなく、柱も壁もすべて赤色をしている建物が多くあります。

これは桐油というものを塗布しているためです。

弁柄桐油というもので、木材の保護として用いられており

  • 耐候性
  • 耐水性
  • 表面硬度
  • 防虫

といった役割があります。

また、弁柄とは下の画像のような赤色の顔料を指します。

首里城を王宮として高貴さを作り出すために、柱や壁も赤くすることになったのだと考えられます。

桐油は西日本や中国で主に自生しているアブラギリから作られ、このあたりも中国との国交と関係があるのでしょう。

首里城は赤くなかった黒瓦だった理由は?

首里城は赤くなく、黒い瓦だったという噂が出回ることがあります。

琉球新報によると、第2次世界大戦時に空爆をするアメリカ軍機が首里城を写真に納めており、1945年に撮影されたものだそうです。

引用:琉球新報

上の写真は、大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」がアメリカ国立公文書館から記録映像を購入し、2014年に公開したものです。

このカラー写真が真実かどうかを含め、詳細は不明です。

可能性として、

  • 1709年の火災で再建された後に老朽化に伴って黒い瓦が使用されることになった。
  • 空爆に備えて目立たないように黒く塗られた
  • 写真が偽物や劣化している

といったものが考えられます。

記録としては1768年に正殿の大修理、1928年に国宝指定に伴い正殿の大改修が行われています。

赤瓦が沖縄に根付いていることは事実であり、整合性としては首里城が赤瓦を使用していたことから端を発して、使用解禁にともなって庶民にも徐々に浸透していった流れが自然です。

この画像だけで「首里城の瓦は赤くなかった黒瓦だった」と結論づけることは、それまでの流れを無視するものです。

公式に国内に戦前の首里城を撮影した画像は以下のものがあります。

まとめ

・首里城は琉球王朝の城:琉球王国の首都

首里城は沖縄に存在した琉球王朝の城です。

・首里城の施設

首里城は琉球王朝のお城だったこともあり、琉球王朝のお城がどのような建造物だったのか分かるようになっています。

どのような宮殿や門、庭などが用意されていたのかが分かります。

・首里城はなんのために作られた?:宗教上の聖地

首里城は琉球王国の王家の人たちが住んでいたお城でもあり、政治の中心地として国会のような役割も果たしていました。

また、琉球王国における宗教上の聖地としての役割も担っていました。

・首里城はなんのために再建される?:沖縄の象徴・世界遺産

て沖縄を450年にわたって統治した琉球王国の中心地であり、世界遺産でもあることが理由の一つだと言えます。

沖縄の歴史や文化の象徴であり沖縄の観光地といえば首里城が挙げられます。

・首里城はなぜ赤いのか理由は?:諸説ある

  • 赤い瓦の理由:人口増加とコスト削減や高貴な色
  • 柱や壁が赤い理由:弁柄桐油の使用

 

いつもたくさんのコメントありがとうございます。他にも様々な情報がありましたら、またコメント欄に書いてくださるとうれしいです。

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シゲゾウ
アラサーのエンタメ好き兄ちゃんデス。 教育関連の仕事に就いています。 エンターテイメントを肌で体感してあなたに新鮮な感動と興奮する情報をお届けします!!! やってみなきゃ分からない!をモットーに何にでも前のめりで挑戦していきます!!