映画「関ヶ原」は木村拓哉×二宮和也主演で話題にもなった「検察側の罪人」の原田眞人監督が司馬遼太郎原作の歴史小説「関ヶ原」を映画化した作品です。
あまりにも難解で歴史が頭に入っていない人には何を話しているのかも聞き取りづらい初見殺しな作品ですが、噛み砕いていけば楽しめる作品になっています。
今回は映画「関ヶ原」で使用されたロケ地・撮影場所はどこなのかを登場シーンと合わせてご紹介します。
映画「関ヶ原」はロケ地かスタジオセットでの撮影か?
映画「関ヶ原」では京都の松竹撮影所でスタジオセットを組んで撮影されたシーンもいくつかありますが、大半は本物の寺社仏閣やお城を利用して撮影されています。
大阪城や大垣城、伏見の加藤清正の屋敷などの一部はスタジオセットで撮影されました。
映画「関ヶ原」の原作は司馬遼太郎なので、その威光が効果を発揮して今までは一度も撮影をOKしなかった東本願寺などでのロケが可能になったそうです。
映画「関ヶ原」ロケ地・撮影場所まとめ
|
|
映画「関ヶ原」のロケは滋賀県や京都府を中心として兵庫県や静岡県などでも撮影されました。
それぞれの都道府県ごとの聖地をまとめてご紹介します。
滋賀県の映画「関ヶ原」聖地
彦根城(大垣城、大津城として)
関ヶ原の戦いのために赤坂岡山までやってきていた徳川家康(役所広司)が杭瀬川の戦いを見物する際に見えているのが大垣城です。
わかりやすいのは映画「関ヶ原」の終盤、関ヶ原の戦いが終わり石田三成(岡田准一)が捕縛されているときに徳川家康(役所広司)が場内におり、最後に2人が対面したところでもあります。
大洞弁財天(関ヶ原の戦い前に家康が弁当を食べていた安楽寺として)
徳川家康(役所広司)が関ヶ原へと向かう中、赤坂岡山で弁当を食べながら小早川秀秋(東出昌大)の動きについて黒田長政(和田正人)に話を聞いているシーンで登場します。
金剛輪寺(北政所が小早川秀秋と三成の娘について話すところ)
京都阿弥陀ヶ峰、秀吉の廟所として使われています。
中盤の北政所(キムラ緑子)のもとに小早川秀秋(東出昌大)が現れて石田三成(岡田准一)の愚痴を言っていたり、石田三成(岡田准一)の娘と出会い話を聞かされるシーンで登場します。
天寧寺(佐吉が秀吉に三献茶をしたところ)
序盤の石田三成(岡田准一)の回想シーンでもあり、原作者の司馬遼太郎の幼少期の回想シーンで登場します。
佐吉と呼ばれていたころの幼き石田三成(岡田准一)と豊臣秀吉(滝藤賢一)の出会いの場面です。
日吉大社(関ヶ原の戦い前夜に大谷刑部の本陣があったところ)
日吉大社も周辺の竹林などが山道のシーンで使用されています。
また関ヶ原の戦いへ向けて、前夜に大谷刑部(大場泰正)が本陣を構えていた山中村としても使用され、2人が最後の食事をしたところです。
愛知川(三条河原の処刑のところ)
永源寺に近い川上の方で撮影されています。
三条河原の豊臣秀次の妻子たちを処刑する場所としてだけでなく、土手を利用したカットにも使われています。
京都府の映画「関ヶ原」聖地
東本願寺(伏見城、大津城として)
今回の映画「関ヶ原」のロケ地として一番の見所は東本願寺を使用した伏見城、大津城のシーンです。
伏見城は千畳敷と呼ばれる広く敷き詰められた畳が特徴であり、それを再現することは非常に厳しいため、東本願寺での撮影交渉を進めた結果、可能になったそうです。
伏見城としては映画「関ヶ原」冒頭の豊臣秀次の妻子への処刑に関する話し合いのシーンと、朝鮮出兵で失態を犯した小早川秀秋(東出昌大)への叱責のシーンで登場します。
金戒光明寺(伏見城として)
こちらも伏見城として使われています。
序盤の三条河原での豊臣秀次の妻子処刑に関して、駒姫の助命を豊臣秀吉(滝藤賢一)に石田三成(岡田准一)がお願いしに行く場面で使われています。
下鴨神社(佐和山城として戦の準備のシーン)
佐和山城の馬場で石田三成(岡田准一)が馬走らせながら斧などを投げていたり、槍などの使い方を領地民らに指導しているシーンで使われています。
兵庫県の映画「関ヶ原」聖地
姫路城(大坂城、佐和山城として)
石田三成(岡田准一)が徳川家康(役所広司)の首を取ると宣言し、家臣に地図を見せてそれぞれに役割を振り分けているシーンで使われています。
このほかにも島左近(平岳大)の妻・花野(中越典子)が敵兵の顔に死化粧をしているシーンや、石田三成(岡田准一)が手紙を書くシーンなど西軍に関する撮影がここでされています。
書写山円教寺(柳生家と島家の会合のシーン)
徳川家康(役所広司)が関ヶ原へと向かう道中に弁当を食べていた赤坂岡山・安楽寺として使用されていたり、小早川秀秋(東出昌大)の関ヶ原の戦いでの本陣としても使用されています。
この他にも前半で島左近(平岳大)が石田三成(岡田准一)側につき、大和国の剣術と医術を後世に残すために柳生家と西軍東軍に分かれて仕えようという話し合いを柳生石舟斎(辻萬長)と話しているシーンでも使用されています。
静岡県の映画「関ヶ原」聖地
二岡神社(桃配山として)
関ヶ原の戦いで徳川家康(役所広司)が本陣を構え、蛇白・阿茶(伊藤静)に望遠鏡を見せて楽しんでいたシーンで使用されています。
朝霧高原(関ヶ原戦場として)
クライマックスの関ヶ原の戦いの戦場として使用されています。
長野県の映画「関ヶ原」聖地
富士見高原リゾート(関ヶ原戦場として)
富士見高原リゾートの他にもう一か所、関ヶ原の戦いの戦場として撮影された場所がありますが、主に戦場としてはこちらで撮影されていたようです。
まとめ
・映画「関ヶ原」はロケ地かスタジオセットでの撮影か?
映画「関ヶ原」では京都の松竹撮影所でスタジオセットを組んで撮影されたシーンもいくつかありますが、大半は本物の寺社仏閣やお城を利用して撮影されています。
・映画「関ヶ原」ロケ地・撮影場所まとめ
滋賀県
- 彦根城(大垣城、大津城として)
- 大洞弁財天(関ヶ原の戦い前に家康が弁当を食べていた安楽寺として)
- 金剛輪寺(北政所が小早川秀秋と三成の娘について話すところ)
- 天寧寺(佐吉が秀吉に三献茶をしたところ)
- 日吉大社(関ヶ原の戦い前夜に大谷刑部の本陣があったところ)
- 愛知川(三条河原の処刑のところ)
京都府
- 東本願寺(伏見城、大津城として)
- 金戒光明寺(伏見城として)
- 下鴨神社(佐和山城として戦の準備のシーン)
兵庫県
- 姫路城(大坂城、佐和山城として)
- 書写山円教寺(柳生家と島家の会合のシーン)
静岡県
- 二岡神社(桃配山として)
- 朝霧高原(関ヶ原戦場として)
長野県
- 富士見高原リゾート(関ヶ原戦場として)
神奈川県
- あしがり郷瀬戸屋敷(島左近の隠れ住んでいたところ)
いつもたくさんのコメントありがとうございます。他にも様々な情報がありましたら、またコメント欄に書いてくださるとうれしいです。