映画「関ヶ原」は木村拓哉×二宮和也主演で話題にもなった「検察側の罪人」の原田眞人監督が司馬遼太郎原作の歴史小説「関ヶ原」を映画化した作品です。
あまりにも難解で歴史が頭に入っていない人には何を話しているのかも聞き取りづらい初見殺しな作品ですが、噛み砕いていけば楽しめる作品になっています。
今回は福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)が兜の交換をする場面の理由や意味についてご紹介いたします。
映画「関ヶ原」福島正則と黒田長政のもともとの仲は良いか悪いか?
福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)はともに豊臣秀吉に仕えていた武将です。
福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)には、ともに敬愛している人物がいました、それは豊臣秀吉の軍師として仕えていた竹中半兵衛です。
福島正則(音尾琢真)は豊臣家に養子として出され、幼少から竹中半兵衛に可愛がってもらっていました。
また、黒田長政(和田正人)は父である黒田官兵衛の裏切りを知った織田信長がその報復として息子である黒田長政(和田正人)の首を刎ねることになった時に、機転を利かせて命を救ってくれたのが竹中半兵衛でした。
いわば福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)は兄弟弟子のような関係にあったといえます。
映画「関ヶ原」福島正則と黒田長政の兜の持つ意味は?
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映画「関ヶ原」の前半で豊臣秀吉(滝藤賢一)の死後、少しずつ徳川家康側と石田三成側とで勢力が分かれていきます。
その徳川家康側として、すでに息のかかっていた福島正則(音尾琢真)が黒田長政(和田正人)とお互いの兜を交換する場面があります。
福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)が持っている兜のデザインにはそれぞれどういった意味があるのでしょうか?
黒田長政が持っていた兜「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」の意味
映画「関ヶ原」では黒田長政(和田正人)が手入れをしており、仲直りにやってきた福島正則(音尾琢真)に渡した牛のような2本の角が生えた兜。
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— 福岡市博物館 (@fukuokaC_museum) August 13, 2017
正式名称を「黒漆塗桃形大水牛脇立兜(くろうるしぬりももなりだいすいぎゅうわきだてかぶと)」と言います。
脇立とは兜の両サイドから伸びている牛の角を指しており、この角のデザインは黒田家当主にのみに使用が許されたものです。
戦国時代の後期になると武将の兜のデザインは奇抜になっていき、この兜はその代表的な例で、「桃形」とは兜の上部の膨らんだところが桃の形に似ているため名付けられました。
黒田長政(和田正人)が長年愛用した兜であり、実は複数個の同じデザインの兜を所有しています。
福島正則が持っていた兜「銀箔押一の谷形兜」の意味
福島正則(音尾琢真)が仲違いを解消するために黒田長政(和田正人)のもとに持ってきた兜です。
黒田長政銀箔押一の谷形兜 pic.twitter.com/JtHzc5EW02
— 賃貸人 斬九郎 (@zankurou396) February 15, 2014
正式名称を「銀箔押一の谷形兜(ぎんぱくおしいちのたになりかぶと)」と言います。
「一の谷の戦い」という源平合戦における源義経が断崖を馬で駆け下りて平家に奇襲をした名場面「鵯越の逆落とし(ひよどりごえのさかおとし)」があります。
この兜はまさにその断崖を表しており、源義経のように武勲を上げるという思いが込められたデザインで、かつての兜の持ち主は竹中半兵衛です。
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映画「関ヶ原」福島正則が兜を黒田長政と交換した理由や意味
福島正則と黒田長政が仲違いをした原因は?
映画「関ヶ原」でも福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)は朝鮮出兵以降は仲違いをして一言も口を聞かなくなったと周囲に言われています。
その大きな原因は「朝鮮出兵」にあったと語られていますが、小さないさかいはそれより前にもあったようです。
福島正則(音尾琢真)の元に、黒田長政(和田正人)に仕えていた母里友信(もりとものぶ)が使者として訪れたことがあります。
すでに酒が入っていた福島正則(音尾琢真)は母里友信に対して、「酒を飲み干せたなら好きなものをやる」と言われ、使者であったので断っていたがあまりのしつこさから受けて立つことにします。
そのときに福島正則(音尾琢真)は負けてしまい、自ら申し出た手前断りもできずに豊臣秀吉から与えられた名槍「日本号」を取られてしまいます。
その後、福島正則(音尾琢真)は槍を返して欲しいと申し出ますが、黒田長政(和田正人)に断られてしまいます。
そうです、ただの逆恨みです。
福島正則と黒田長政が朝鮮出兵で武勲に差が生じたから
映画「関ヶ原」でも語られている福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)の仲違いの大きな原因は朝鮮出兵にあります。
朝鮮出兵は大きく2回に分けられ、一度目を「文禄の役」、二度目を「慶長の役」と言います。
そしていずれの出兵においてもそれぞれの武将は一番隊から九番隊までのチームに分かれて朝鮮に侵攻して、敵将を討ち侵攻を続けるチームや役所を構えて事務作業をするチーム、占領した土地を守るチームのように決められた役割を果たすことになっていました。
朝鮮出兵において福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)では、与えられた役割に違いがあり、そのことが仲違いの原因となりました。
朝鮮出兵で福島正則は裏方に回される
一度目の朝鮮出兵「文禄の役」で福島正則(音尾琢真)は五番隊の大将を任されますが、漢城(今のソウル)の周辺地域「京畿道」の竹山というところの守備を任されます。
その後も朝鮮側の反撃を対処したりしますが、日本からの補給係としての役割を任されます。
そして二度目の朝鮮出兵「慶長の役」には遅れてではありますが、参加する計画が組まれていましたが豊臣秀吉(滝藤賢一)の死去により朝鮮へ出兵することはありませんでした。
朝鮮出兵で黒田長政は多くの武勲を上げた
一度目の朝鮮出兵「文禄の役」では5000人の兵士を指揮する三番隊の大将を任されます。
朝鮮半島南東の釜山から上陸後、金海、昌原、霊山、昌寧、厳風、茂渓津、星州、金山、秋風嶺、永同、文義、清州、竹山と順調に侵略に成功して漢城(ソウル)を攻め落とします。
一番隊の小西行長の勝手な動きに苛立ちを感じていましたが、その後も朝鮮の主要都市を攻め落としたり、援軍として加勢したりと多くの武勲を上げていきます。
図に表すと上のような進路になります。
一度目の朝鮮出兵「文禄の役」で黒田長政(和田正人)が侵攻したのが青色の線で、道中の戦闘で勝利を続けてきました。
それに対して福島正則(音尾琢真)は漢城(ソウル)から南の竹山の守備を任されていただけでした。
二度目の朝鮮出兵「慶長の役」でも当初から参加しており、引き続き三番隊を任されています。
戦況が悪化する中でも戦果を上げていきました。
仲直りのきっかけは石田三成が嫌いであること
福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)では、朝鮮出兵で与えられた役割が違ったため、武勲にも差が出ることは仕方のないことです。
しかし血の気の多く恨みの溜まっている福島正則(音尾琢真)にとってはそんなことは関係がなく、自分が武勲を立てられない現状に置かれていることを恨み、黒田長政(和田正人)の武勲を妬んだのです。
そうです、またしてもただの逆恨みです。
そんな福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)の仲違いですが、これから石田三成(岡田准一)と戦おうとする徳川家康(役所広司)にとっては、少しでも石田三成側についてしまう人間は減らしたかったのです。
そこで福島正則(音尾琢真)を説き伏せて黒田長政(和田正人)との仲違いを解消し、徳川家康側の戦力を増強する策を講じます。
徳川家康によって石田三成は2人の共通の敵に仕立て上げられた
方法はいたって簡単で、福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)が共通の敵を持つことができれば解決です。
その人物とはまさに石田三成(岡田准一)でした。
石田三成(岡田准一)は朝鮮出兵においても奉行職についており、いわゆる事務処理作業や豊臣秀吉(滝藤賢一)と現地とをつなぐパイプ役をしていました。
福島正則(音尾琢真)が守備や補給の役割ばかりさせられたことは石田三成(岡田准一)が仕向けたこと。
黒田長政(和田正人)は一番隊の小西行長が勝手な動きで指揮を乱していたことを石田三成(岡田准一)が対応してくれなかったこと。
そのように徳川家康(役所広司)によって吹き込まれます。
黒田長政が福島正則と兜を交換して仲違いを喜んで解消した理由
福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)の兜の交換は、ぱっと見では黒田長政(和田正人)の兜の方が2本の角が豪華であり、福島正則(音尾琢真)の兜は質素でダサく見えて、黒田長政(和田正人)が仲違いを喜んで解消した理由がわかりません。
実は黒田長政(和田正人)の持っていた牛の角のついた兜は由来や意味にこれといった価値はありません。
福島正則(音尾琢真)が黒田長政(和田正人)に「一の谷形兜」を渡したということが重要です。
福島正則(音尾琢真)の「一の谷形兜」は二人にとっては恩師にあたる竹中半兵衛がかつて使用していたものです。
福島正則(音尾琢真)にとっても幼少期から可愛がってもらっていた竹中半兵衛の兜を渡すということは大きな決断です。
そして黒田長政(和田正人)にとっても、自分の命を救ってくれた恩人であり恩師でもある竹中半兵衛の兜をもらい受けるということは大きな意味を持ちます。
つまり、言葉では語られていませんがここには福島正則(音尾琢真)が今までの仲違いの原因は全て自分にあったことを認めています。
また、福島正則(音尾琢真)にとって一番大切な品物であり、黒田長政(和田正人)にとっても仲違いを解消する材料として申し分のない品物を差し出したといえます。
まとめ
・映画「関ヶ原」福島正則と黒田長政のもともとの仲は良いか悪いか?
福島正則(音尾琢真)は豊臣家に養子として出され、幼少から竹中半兵衛に可愛がってもらっていました。
黒田長政(和田正人)は竹中半兵衛に命を救ってもらっていました。
いわば福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)は兄弟弟子のような関係にあったといえます。
・映画「関ヶ原」福島正則と黒田長政の兜の持つ意味は?
黒田長政が持っていた兜「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」は黒田家に伝わる貴重な兜です。
福島正則が持っていた兜「銀箔押一の谷形兜」は源平合戦における源義経が断崖を馬で駆け下りて平家に奇襲をした名場面を模した兜で竹中半兵衛の形見です。
・映画「関ヶ原」福島正則が兜を黒田長政と交換した理由や意味
これから石田三成(岡田准一)と戦おうとする徳川家康(役所広司)にとっては、少しでも石田三成側についてしまう人間は減らしたいところでした。
そこで福島正則(音尾琢真)を説き伏せて黒田長政(和田正人)との仲違いを解消し、徳川家康側の戦力を増強する策を講じます。
福島正則(音尾琢真)と黒田長政(和田正人)の仲違いの原因は全て福島正則の逆恨みであり、福島正則(音尾琢真)にとって一番大切な品物であり、黒田長政(和田正人)にとっても仲違いを解消する材料として申し分のない品物を差し出すことで、仲直りすることができました。
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