映画「関ヶ原」は木村拓哉×二宮和也主演で話題にもなった「検察側の罪人」の原田眞人監督が司馬遼太郎原作の歴史小説「関ヶ原」を映画化した作品です。
あまりにも難解で歴史が頭に入っていない人には何を話しているのかも聞き取りづらい初見殺しな作品ですが、噛み砕いていけば楽しめる作品になっています。
今回は映画「関ヶ原」で伏見城にいる豊臣秀吉(滝藤賢一)の隣にある岩・波のようなオブジェの意味について。
その反対側にある地球儀のセットについて解説します。
映画「関ヶ原」秀吉の隣にある岩・波のオブジェの意味は?地球儀のセットについても
映画「関ヶ原」の豊臣秀吉(滝藤賢一)が根城としている伏見城には、上座に座る豊臣秀吉(滝藤賢一)の右隣には岩か波のような銀色のオブジェがあります。
そして豊臣秀吉(滝藤賢一)の左隣には大きな地球儀のせっとがあります。
これらはどういった意味があるのか?また史実にも書かれている実在したものなのでしょうか?
三成と家康が座る位置の意味は?
伏見城で豊臣秀吉(滝藤賢一)の両隣に置かれている岩か波のようなオブジェと、大きな地球儀のセットは石田三成(岡田准一)と徳川家康(役所広司)の座る位置と関係があります。
豊臣秀吉(滝藤賢一)から見て右側には石田三成(岡田准一)ら「六奉行(ろくぶぎょう)」と呼ばれる役人がおり、
左側には徳川家康(役所広司)ら「五大老(ごたいろう)」と呼ばれる政務官が座ります。
六奉行と五大老のランクは、五大老の方が格上です。
ちなみに上の画像の奥の方に並んでいるのは諸大名です。
話し合いの内容によっていたり、いなかったりします。
そして豊臣秀吉(滝藤賢一)の両隣には右側に岩・波のような銀色のオブジェがあり、左側には大きな地球儀のセットがあります。
秀吉の隣にある岩・波のオブジェは史実にあり実在する?
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これらは原田眞人監督が石田三成(岡田准一)と徳川家康(役所広司)の性格を表すオブジェやセットとして考えられたものです。
実際に伏見城に豊臣秀吉(滝藤賢一)がいたころにこれらのオブジェが置かれていたという史実はなく、実在していたとは言えないでしょう。
秀吉の隣にある岩・波のオブジェの意味は?
まずは五大老である徳川家康(役所広司)の座っている右側の岩・波のオブジェの意味についてみていきましょう。
このオブジェ、正しくは銀でできた「波を模したオブジェ」だそうです。
徳川家康(役所広司)の性格をイメージしてデザインされたオブジェで、波のように全てを飲み込むことができる野心の強さを表しています。
波のオブジェ越しに撮影されていたり、顔の奥には波のオブジェが映されていたりするシーンには徳川家康(役所広司)の策略が潜んでいることがわかります。
秀吉の隣にある地球儀のセットの意味は?
伏見城の上座に座る豊臣秀吉(滝藤賢一)の向かって左側には大きな地球儀のセットがあり、六奉行である石田三成(岡田准一)が座っています。
石田三成(岡田准一)の頭脳明晰で関ヶ原の戦いでは朝鮮人の捕虜たちに大砲集団としての兵士の役割を与えるなど寛容な性格を見せ、広い視野を持った人物という原田眞人監督のイメージ像が反映されています。
まとめ
・三成と家康が座る位置の意味は?
豊臣秀吉(滝藤賢一)から見て右側には石田三成(岡田准一)ら「六奉行(ろくぶぎょう)」と呼ばれる役人がおり、
左側には徳川家康(役所広司)ら「五大老(ごたいろう)」と呼ばれる政務官が座ります。
・秀吉の隣にある岩・波のオブジェは史実にあり実在する?
これらは原田眞人監督が石田三成(岡田准一)と徳川家康(役所広司)の性格を表すオブジェやセットとして考えられたものです。
・秀吉の隣にある岩・波のオブジェの意味は?
徳川家康(役所広司)の性格をイメージしてデザインされたオブジェで、波のように全てを飲み込むことができる野心の強さを表しています。
・秀吉の隣にある地球儀のセットの意味は?
石田三成(岡田准一)の頭脳明晰で寛容な性格、広い視野を持った人物という原田眞人監督のイメージ像が反映されています。
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