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映画「関ヶ原」朝鮮人兵士の大砲集団は事実?韓国人と威力についても

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映画「関ヶ原」は木村拓哉×二宮和也主演で話題にもなった「検察側の罪人」の原田眞人監督が司馬遼太郎原作の歴史小説「関ヶ原」を映画化した作品です。

あまりにも難解で歴史が頭に入っていない人には何を話しているのかも聞き取りづらい初見殺しな作品ですが、噛み砕いていけば楽しめる作品になっています。

今回はクライマックスの関ヶ原の戦いで活躍する朝鮮人兵士の大砲集団は本当に実在し、史実にも書かれているのか?

また大砲の威力は演出なのかについてご紹介します。

映画「関ヶ原」朝鮮人兵士の大砲集団は事実なのか?

映画「関ヶ原」朝鮮人兵士の大砲集団は事実なのか見ていきましょう。

朝鮮人が関ヶ原に参戦の経緯は史実どおり?

映画「関ヶ原」ではタイトル通り、関ヶ原の戦いを西軍大将である石田三成(岡田准一)を主人公として描いた作品です。

関ヶ原の戦いがはじまる直前に石田三成(岡田准一)の家来のものが大砲に火薬を詰める準備をさせているところに石田三成(岡田准一)が現れ、家来から朝鮮人兵について紹介があります。

それによると朝鮮人兵らは捕虜として日本におり、フランキ砲という種類の大砲を使うことには長けているそうです。

その紹介を受けて石田三成(岡田准一)は朝鮮人兵による大砲集団の使用を了承します。

史実に朝鮮人兵士が関ヶ原の戦いに参加した事実はある?

実際に関ヶ原の戦いに朝鮮人が兵士として参加して大砲を撃っていたという事実は調べた限りでは見つけることができませんでした。

しかし必ずしもありえないという根拠はなく、朝鮮出兵において捕虜として捕らえられた朝鮮人が西日本に住んでおり陶器などの工芸技術を日本に広めたということは広く知られています。

同じく捕虜の中に大砲に精通していた朝鮮人がいたとしてもおかしくはないので、史実と異なるとは言い切ることはできません。

捕虜として捕らえられておきながら日本のために戦って死ぬところまでするのか?と思ってしまいますが、助けに来た朝鮮人が連れ帰ろうとすると帰りたくないと嫌がったという逸話もあるので、「仕えている」という意識は育まれていたのかもしれません。

反日企業がねじ込んだ演出・脚本?

この映画「関ヶ原」における突然の朝鮮人の登場と活躍にはネット上で否定的な声も出ています。


しかし、この設定が完璧にありえないものを付け加えられたとは言い切れないのも事実です。

また、映画「関ヶ原」の原田眞人監督によれば、徳川家康(役所広司)はこの時代にしては女性に優しい一面を持ち、石田三成(岡田准一)はそれよりももっと寛容な心の持ち主だったことを表す表現としても朝鮮人が大砲集団を演じるということにしたそうです。

映画「関ヶ原」韓国人兵士の大砲の威力は演出か事実か?

映画「関ヶ原」韓国人兵士の大砲の威力は演出か事実だったのでしょうか?

戦国時代の大砲とその威力は?

関ヶ原の戦いは1600年と戦国時代の終焉にあります。

日本における大砲は1550年ごろから普及し始めたとされています。

関ヶ原の戦いのあった戦国時代の末期に日本で使用されていた大砲には大きく3種類あります。

大筒

銃口が大きいが全長の短い大砲です。

射程距離が短いですが銃口が大きいので至近距離の敵には威力を発揮しました。

前装式で点火させる方式で、着弾しても飛び散ったりしない金属の塊の弾を発射していました。

フランキ砲(映画「関ヶ原」で石田三成が使用)

映画「関ヶ原」で使用されており、「石火矢」と呼ばれることもあったそうです。

フランキー砲は砲身と子砲という2つの部分に分けられており、砲弾と火薬を一体とするカートリッジを子砲に詰めて使用します。

映画「関ヶ原」でも青銅色のカートリッジを装填している様子があります。

カートリッジさえ用意しておけば、それを取り替えることで繰り返し発射することができる点がメリットですが、青銅を用いており高価であったことなどから大筒や大鉄砲が日本国内では主流になっていきます。

大鉄砲

名前の通りで火縄銃を大きくした携帯できる大砲です。

小型化されているため砲弾も小さく、飛距離も1kmほど飛ばすこともできたようです。

韓国人兵士の大砲の弾は榴弾・炸裂弾?

映画「関ヶ原」で石田三成(岡田准一)の軍が朝鮮人兵によって発射されているフランキ砲は金属の塊の弾を発射しているのではないようです。

フランキ砲の発射後には周囲に金属片が飛び散っている様子や、金属片が物に当たる音が収められています。

演出として過激にしているというわけではなさそうです。

このことから、映画「関ヶ原」で使用されている大砲の弾は榴弾ではないかと思われます。

ヨーロッパで榴弾が普及したのが1550年ごろとのことなので、1600年の関ヶ原の戦いで朝鮮人兵が榴弾を用いたフランキ砲の使用に精通していてもおかしくはないでしょう。

朝鮮人兵士の「わが同志」の言葉の意味は?

関ヶ原の戦いも敗戦が決まり、石田三成(岡田准一)を逃した島左近(平岳大)は西軍兵士とともに東軍に取り囲まれます。

槍で少しずつ外側の者から殺されていく中、中心付近にいた朝鮮人兵が火薬を集めて「わが同志!」という言葉をもって着火して取り囲む東軍もろとも爆死します。

この戦術が本当に行われたかについては知る由もありませんが、おそらくは島左近(平岳大)の首は見つからずじまいだったということの理由づけとして選択された演出でしょう。

朝鮮人兵が放った「わが同志!」についてはそのときの目線からしても共に戦った島左近(平岳大)をはじめとした西軍の兵士達に向けての覚悟を決めた最後の叫びと言えます。

まとめ

・朝鮮人兵士が関ヶ原に参戦の経緯は史実どおり?

朝鮮人兵らは捕虜として日本におり、フランキ砲という種類の大砲を使うことには長けているそうです。

その紹介を受けて石田三成(岡田准一)は朝鮮人兵による大砲集団の使用を了承します。

・史実に朝鮮人兵士が関ヶ原の戦いに参加した事実はある?

実際に関ヶ原の戦いに朝鮮人が兵士として参加して大砲を撃っっていたという事実は調べた限りでは見つけることができませんでした。

しかし朝鮮出兵において捕虜として捕らえられた朝鮮人が西日本に住んでおり陶器などの工芸技術を日本に広めたということは広く知られており、捕虜の中に大砲に精通していた朝鮮人がいたとしてもおかしくはありません。

・反日企業がねじ込んだ演出・脚本?

原田眞人監督によれば、石田三成(岡田准一)が寛容な心の持ち主だったことを表す表現としても朝鮮人が大砲集団を演じるということにしたそうです。

・大砲の弾は榴弾・炸裂弾?

映画「関ヶ原」にはフランキ砲の発射後には周囲に金属片が飛び散っている様子や、金属片が物に当たる音が収められています。このことから、映画「関ヶ原」で使用されている大砲の弾は榴弾ではないかと思われます。

・朝鮮人兵士の「わが同志」の言葉の意味は?

共に戦った島左近(平岳大)をはじめとした西軍の兵士達に向けての覚悟を決めた最後の叫びと言えます。

 

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シゲゾウ
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