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ナポレオン法典を分かりやすく簡単に解説!フランス革命や女性の権利・日本への影響も

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フランス革命やナポレオンについて学習していると登場する「ナポレオン法典」。

今回は、ナポレオン法典とは何か分かりやすく簡単に解説していきます。

また、ナポレオン法典とフランス革命の関係性、女性の権利の扱いや日本への影響についても紹介します。

ナポレオン法典を分かりやすく簡単に解説!フランス革命との関係は?

ナポレオン法典をできる限り分かりやすく簡単に解説します。

また、ナポレオン法典とフランス革命には関係があるのか見ていきましょう。

ナポレオン法典を分かりやすく簡単に解説!:フランス革命後の民法

ナポレオン法典はまさに、ナポレオンが作った法典(法律)です。

「余の辞書に不可能の文字はない」

という名言を放ったフランスを代表する革命家が作った民法がナポレオン法典です。

法律には大きく民法と刑法の2種類があります。

民法 ・個人間でトラブルを回避・解決するためのルール。
・警察が介入しない。
・民事裁判が行われる。
刑法 ・国家が個人に対して治安を保つために守らせるルール。
・警察が逮捕しにくる。
・刑事裁判が行われる。

日本の民法と刑法の説明を盛り込んでいるので、厳密には同じではないのですが、イメージとしては上の通りです。

個人間・隣人トラブルや企業とのトラブルを回避・解決するためのルールが民法です。

 

革命家であるナポレオンが個人間のトラブルを回避・解決するためのルールを作ったということです。

ナポレオン法典の大きな特徴は次の2つです。

私有財産の不可侵 自分で持っている財産は没収されることはない
契約の自由 個人間で契約を交わしたら、それは法律と同じ力を持つ

ヨーロッパでは家の中までは法律が効力を持たないと言われた時代もありました。

私有財産の不可侵はまさにその考え方を明文化したものと言えます。

契約の自由も現代の日本ではありえませんが、個人間の契約が法律と同程度の優先度を持っていたというのは驚きです。

これらはナポレオンが登場したときに起こっていたフランス革命で市民が求めたことです。

ナポレオンはフランス革命を通して、市民の夢をナポレオン法典として現実のものにしました。

ナポレオン法典の内容が約200年後の現代の民法にまで影響を与えているのです。

ナポレオン法典とフランス革命の関係性:旧体制を崩壊の明文化

すでに述べた通り、ナポレオン法典はフランス革命で活躍したナポレオンによって作られた法律・民法です。

フランス革命は1789年のバスティーユ牢獄の襲撃から始まりました。

フランス革命が果たされるまでのフランスには「旧体制」と呼ばれる身分制度・階層社会が存在していました。

高校の世界史などではアンシャンレジームといった名前を用いられるものです。

下の画像は当時のフランスの身分制度・階層社会を表す風刺画の一つです。

引用:Wikipedia
  • 国王
  • 聖職者
  • 貴族

といった上流階級が平民の犠牲の上に裕福な生活をしているという構図を「旧体制アンシャンレジーム」と呼びます。

「金持ちが自由に生活できるのは、貧乏人が犠牲になっているから」ということです。

もちろん、当時の平民たちはこの状況を甘んじて受け入れてはいませんでした。

しかし、おかしいと思いつつも生まれた時から不平等な状況で生活をしていると、何が不平等で平等なのか分かりません。

そんな中、ルソーやモンテスキューといった啓蒙思想家(今でいう政治家)が「旧体制はおかしい!」と主張して、少しずつ民意が形成されていきました。

さらに小麦の不作の時期が重なって、金がないだけでなくご飯もロクに食べられない状況が加わり、ついに平民たちの怒りが爆発し、フランス革命が起こります。

1789年、バスティーユ牢獄の襲撃。

なぜ牢獄に襲撃をしたのか?と違和感を感じるかもしれませんが、かつてバスティーユ牢獄はバスティーユ要塞と呼ばれる軍事施設だったため、武器庫としての機能を持っていました。

用途が牢獄に変わっていましたが、武器の備蓄もあったために平民たちが革命をするための武器を手に入れるために襲撃されました。

旧体制の廃止を求めて始まったフランス革命でしたが、ただの平民に戦い方が分かる訳もなく、混乱を極めていました。

そこに登場したのがナポレオンです。

ナポレオンは当時軍人であり、フランス革命には特に関心がありませんでしたが、移住・結婚をして軍に復帰すると国の情勢が変化しており、与えられた任務をこなしているとフランス革命の英雄へと祭り上げられていました。

 

フランス革命の終結にともない、平民たちの求める社会のために作られた法律がナポレオン法典です。

ナポレオン法典では、

  • 旧体制の廃止
  • 私的所有権の絶対
  • 労働の自由
  • 人身の自由
  • 法の前での平等
  • 信仰の自由

などが宣言されました。

旧体制ではありえなかったことが法律として明文化された社会的影響は大きいです。

ナポレオン法典と女性の権利・日本への影響や所有権の絶対とは何か?

ナポレオン法典と女性の権利の関係はどうなっているのでしょうか?

また、ナポレオン法典の日本への影響や、明記されている所有権の絶対について見ていきましょう。

ナポレオン法典と女性の権利:女性迫害がはじまる

ここまでナポレオン法典がいかに革新的かを見てきました。

しかし、ナポレオン法典は良い面ばかりではありません。

女性の権利は、フランス革命以前よりも厳しいものになっていました。

ナポレオン法典では、夫が一方的に夫婦の財産を管理することができ、妻は財産面に関して何もすることができないと決められています。

男女の性別の役割意識を理由として「自然な状態」だとみなされていました。

平たく言えば亭主関白が国を挙げて当たり前の夫婦の形とされていました。

革命以前に認められていた夫婦財産契約の自由は、ナポレオン法典では国から制限がかかり、自由にできなくなってしまいました。

もちろん女性に参政権はありません。

このような状況になった理由は議会にあると言えます。

フランス革命後の国民議会には男性議員しかいませんでした。

そのため、議題として「女性の権利」を話題にしようとする人間がそもそもおらず、男性にとって住みやすい社会の要素として女性のポジションが考えられてしまいました。

「女性の権利が迫害されている」などという考え方を持てる人間が最初から議会に存在しなかったことが原因と言えます。

さらに、その時代のヨーロッパは「家父長制」といって、家長(父親)が家族を支配することが当たり前とされており、家庭レベルから男性優位が染み付いている国家体制だったことも理由の一つです。

 

このような女性の権利侵害は「フェミニズム」という女性の権利を獲得しようという活動に発展していきます。

フェミニズムは周辺の国にも広がって、女性の権利を獲得しようという考え方が広まっていきました。

フランスで女性参政権が認められたのはなんと第2次世界大戦終盤の1944年なので、女性の権利が回復するためには200年近い時間を必要としました。

ナポレオン法典は女性に厳しいものでしたが結果的に、女性の権利を獲得しようとする運動が活発になったのも事実です。

ナポレオン法典の日本への影響は?:大日本帝国憲法への影響

日本は江戸時代に鎖国をしていたため、日本が海外からの影響を大きく受けたのは明治維新のときです。

明治時代に民法も作られました。

当時の明治政府はアメリカなどとの不平等条約の改正を目指しましたが、近代的な法律制度を持っていないことが問題視されたて改正に手こずっていました。

そのため法律整備が喫緊の課題でした。

明治政府はヨーロッパで法制の模範とされていたフランス法を参考にすることにしました。

フランスから法学者ギュスターヴ・ボアソナードなどの知識人を招いて、法律の基礎を作らせました。

ボアソナードが中心となってつくられた旧民法には、フランス民法(ナポレオン法典)の影響が強く存在していました。

しかし「今の日本には合っていない」といって民法論争が生じた結果、結局施行されずに終わりました。

 

日本では最終的にはナポレオン法典の要素は取り入れられませんでしたが、本国フランスでは現在の民法でもナポレオン法典の影響が強く残っています。

ナポレオン法典・所有権の絶対とは何か?:所有権の侵害の歴史

ナポレオン法典には「所有権の絶対」について明記されています。

所有権とは簡単に言えば、「持っているものについて自由に取り扱うことができるという権利」です。

今の私たちの日本の民法では、民法206条に所有権について明記されています。

所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する。

引用:WIKIWIKI

ナポレオン法典には「所有権」についてではなく、「所有権の絶対」が明記されています。

言葉通り、所有権は絶対的なものということです。

自分の私的な財産は自分でどうするかを決めることができ、他人にとやかく言われることはないということです。

 

所有権の絶対が明文化された理由はフランス革命にあります。

フランス革命以前のフランスでは「旧体制」が成り立っていました。

聖職者や貴族が特権階級として裕福な生活を送る一方、平民は貧しい生活を送っていました。

自分の持っている財産も、必ずしも保証されたものだったとは言えませんでした。

そこで起こったのがフランス革命です。

フランス革命は「旧体制」の崩壊が目的なので、所有権が脅かされていたシステムも破壊されるべき対象だったと言えます。

そのため、「所有権の絶対」という極端な内容が明文化されることになりました。

まとめ

・ナポレオン法典を分かりやすく簡単に解説!

ナポレオン法典はまさに、ナポレオンが作った法典(法律)です。

ナポレオン法典の大きな特徴は私有財産の不可侵、契約の自由の2つです。

・ナポレオン法典とフランス革命の関係性は?

ナポレオン法典はフランス革命で活躍したナポレオンによって作られた法律・民法です。

・ナポレオン法典と女性の権利はどうなってる?

ナポレオン法典では、夫が一方的に夫婦の財産を管理することができ、妻は財産面に関して何もすることができないと決められています。

・ナポレオン法典の日本や世界への影響は?

明治政府はヨーロッパで法制の模範とされていたフランス法を参考にすることにしました。

・ナポレオン法典・所有権の絶対とは何か?

所有権とは簡単に言えば、「持っているものについて自由に取り扱うことができるという権利」です。

 

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シゲゾウ
アラサーのエンタメ好き兄ちゃんデス。 教育関連の仕事に就いています。 エンターテイメントを肌で体感してあなたに新鮮な感動と興奮する情報をお届けします!!! やってみなきゃ分からない!をモットーに何にでも前のめりで挑戦していきます!!