「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は東野圭吾原作の人気小説で、世界で累計800万部を超える大ヒット作品の一つです。
舞台での上演もすでに3度行われており、映画化は日本だけでなく中国版も作られたほどの人気作品でもあります。
今回は映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」で浪矢雄治が悩み相談をはじめた理由や息子・浪矢貴之に託した遺言の内容について。
また、三十三回忌の悩み相談一夜だけの復活のホームページを作ったのは誰なのかについて紹介します。
映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」浪矢雄治が悩み相談をする理由や遺言の内容は?
映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の浪矢雄治(西田敏行)が悩み相談をしはじめた理由はなんでしょうか?
また、息子である浪矢貴之に託した遺言の内容やその理由を見ていきましょう。
浪矢雄治(西田敏行)が悩み相談をし始めた理由は?
静岡県の時越市で「ナミヤ雑貨店」という店を経営していた浪矢雄治(西田敏行)には愛する妻と息子の浪矢貴之がいました。
1960年代に妻に先立たれてしまい、生きる希望を失っていた浪矢雄治(西田敏行)は冗談半分で、「誰かの役に立てる何か」という生きる理由を求めて悩み相談を始めました。
最初はナミヤ雑貨店の近くにある小学生たちを相手にした他愛のない問答からはじまりました。
しだいに浪矢雄治(西田敏行)の悩み相談の存在は大人たちにまで広まり、身近な人には質問できないことを匿名で質問するようになり始めます。
小学生相手の他愛のない質問には、ナミヤ雑貨店の前にある掲示板に張り出して回答をしていましたが、いつからか雑貨店が閉店している深夜の閉まったシャッターのポストに手紙を投函すると、翌日に雑貨店の外にある牛乳箱に回答が返されているようになりました。
冗談半分の子供相手の道楽でしたが、気づけば悩み相談は浪矢雄治(西田敏行)にとっての生きがいになっていました。
浪矢雄治(西田敏行)の死因は?
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浪矢雄治(西田敏行)は1980年の秋に店先で倒れてしまい、病院へと搬送されます。
末期のすい臓がんが見つかり、すでに進行が進みすぎており余命は3ヶ月程度だと判明します。
すい臓がんは他の部位に現れる「がん」に比べれば、発見される可能性が低いこともあり、浪矢雄治(西田敏行)の場合も初期段階での発見がなされませんでした。
浪矢雄治(西田敏行)の遺言の内容は?
浪矢雄治(西田敏行)は入院中も何度も、悩み相談の手紙がポストに投函される夢をみることを息子の浪矢貴之に話し、「余命が残り少ないことは分かっているからナミヤ雑貨店に連れて行って欲しい」とお願いします。
ナミヤ雑貨店に浪矢雄治(西田敏行)を送り届けた息子の浪矢貴之に遺言書を渡します。
遺言の内容は、浪矢雄治(西田敏行)が亡くなった三十三回忌の日(2012年12月20日)に一夜だけナミヤ雑貨店の悩み相談を復活させることと。
そのときに、「今まで浪矢雄治(西田敏行)の悩み相談の回答を受けてきた人たちが、回答が人生の役に立ったのかの意見をポストに投函してほしい」というものです。
ナミヤ雑貨店相談窓口を一夜だけ復活させた理由は?
浪矢雄治(西田敏行)は今までに自分が返した悩み相談の回答によって、相談者の人生がどのように変化したのか?について深くは考えてきませんでした。
しかし、不倫相手の子供を産むべきか悩む女性の相談者が、産んだ娘とともに無理心中を図ったという新聞記事を目にして愕然とします。
今までしてきた悩み相談の回答が本当に正しいことだったのか?人の人生を不幸にしては来なかっただろうか?と不安になり、ナミヤ雑貨店のもつ不思議な力を使って未来からの手紙を受け取る「ナミヤ雑貨店相談窓口の一夜だけの復活」を計画します。
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映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」ホームページは誰が作ったか?
ナミヤ雑貨店の一夜だけの復活を宣伝するホームページは誰の手によって作られたものなのでしょうか?
ナミヤ雑貨店のホームページの内容は?
ナミヤ雑貨店相談窓口が2012年12月20日の一夜だけ復活することを宣伝するホームページは、ナミヤ雑貨店の悩み相談について詳しく知る人だけがたどり着けるように多くの情報が記載されていません。
浪矢雄治(西田敏行)が息子の浪矢貴之に託した遺言書に書かれていた通り、「12月20日の午前0時から夜明けまでの間だけナミヤ雑貨店の相談窓口が復活する」ということ、
そして「今までに悩み相談を受けたことのある人の人生に役立ったのかどうかの意見を投函してほしい」ということだけが載っています。
ナミヤ雑貨店のホームページは誰が作った?
浪矢雄治(西田敏行)の三十三回忌の2012年には、すでに息子である浪矢貴之は死去しています。
浪矢雄治(西田敏行)の遺言の内容を実行したのは、浪矢雄治(西田敏行)の孫である浪矢駿吾でした。
息子の浪矢貴之は自分自身がなくなる前に、孫の浪矢駿吾に浪矢雄治(西田敏行)の遺言の内容の実行を依頼しています。
まとめ
・浪矢雄治(西田敏行)が悩み相談をし始めた理由は?
1960年代に妻に先立たれてしまい、生きる希望を失っていた浪矢雄治(西田敏行)は冗談半分で、「誰かの役に立てる何か」という生きる理由を求めて悩み相談を始めました。
・浪矢雄治(西田敏行)の死因は?
末期のすい臓がんが見つかり、1980年12月20日に亡くなっています。
・浪矢雄治(西田敏行)の遺言の内容は?
「今まで浪矢雄治(西田敏行)の悩み相談の回答を受けてきた人たちが、回答が人生の役に立ったのかの意見をポストに投函してほしい」というものです。
・ナミヤ雑貨店相談窓口を一夜だけ復活させた理由は?
今までしてきた悩み相談の回答が本当に正しいことだったのか?人の人生を不幸にしては来なかっただろうか?を確認するために計画しました。
・ナミヤ雑貨店のホームページの内容は?
ナミヤ雑貨店相談窓口が2012年12月20日の一夜だけ復活することを宣伝するホームページは、ナミヤ雑貨店をよく知る人だけがたどり着けるように多くの情報が記載されていません。
・ナミヤ雑貨店のホームページは誰が作った?
浪矢雄治(西田敏行)の孫がホームページを作りました。
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