映画「ジョーカー」は人気コミック「バットマン」の悪役・ヴィランであるジョーカーがいかにして誕生したかを描い作品です。
今回は映画「ジョーカー」のラストシーンの考察をしていきます。
血の足跡の意味や病院での出来事、どこまでが妄想なのか、流れていた曲に込められた意味について紹介します。
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映画ジョーカーのラストのネタバレ
映画「ジョーカー」の展開に関してはどこまでが事実として解釈すべきで、どこからはアーサー(ジョーカー)の妄想だったのか、その区別が非常に難しいところです。
まずは映画「ジョーカー」のラストで描かれていった出来事を見返してみましょう。
アーサーはテレビ番組に出演し、アーサーを笑い物にしようとしていたテレビ番組の司会者を殺害します。
一連の映像が放送されたことで、ゴッサムシティに存在していた低所得層のデモ行動は暴力的な運動へと変化していきます。
その煽りを受けて、ブルース・ウェイン(バットマン)と両親は家を飛び出して街で暴徒と出会してしまい、両親は殺されてしまいます。
アーサーは警察に逮捕されて誤送されていましたが、突如現れた救急車がパトカーに追突して、警察官たちが負傷し救急車からはピエロのマスクをした2人組が現れアーサーを救出します。
アーサーも衝撃で気を失っていましたが、目を覚ますと救急車のボンネットの上に立ち、自らの血で笑顔を書き加えて群集や犯罪者たちを称えていました。
そして場面が切り替わり、病院にいるアーサーが映し出されます。
映画「ジョーカー」のラストシーン考察!血の足跡の意味や病院・妄想について解説
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映画「ジョーカー」のラストシーンを考察していきましょう。
血の足跡の意味や病院のその後、妄想について解説します。
病院を逃走したその後は?:マット・リーブス版へと続く
病院から逃走したアーサーがどこに行ったのか?その後の展開については明確には示されていません。
少なくとも病院を抜け出したアーサーが今後、ジョーカーとして犯罪を企てていくと思われますが、監督のトッド・フィリップスは続編製作に対して否定的な意見を述べています。
ただし、興行収入は非常に優れているため続編が作られる可能性は残されています。
マット・リーブスの「バットマン」は1990年代を舞台にしていると言われているため、映画「ジョーカー」で描かれたバットマンが活躍した世界の続編にあたると考えられます。
映画「ダークナイト」と関連すると思っている人もいますが、明らかに年齢設定に矛盾が生じているため直接的につながった世界ではないと考えるべきです。
映画「ダークナイト」の世界とつながると仮定した場合には、映画「ジョーカー」のジョーカーは本物のジョーカーを生み出すきっかけとなったと見るべきです。
アーサーが演じたジョーカー に触発された何者かが、その後、映画「ダークナイト」の世界で活躍する人物へと変貌していったと捉えることができます。
もちろん、これらは想像の域を出ません。
病院のジョークを思いついたというセリフの意味は?:ブルース・ウェインとの関係
病院で精神分析を受けるアーサーが「ジョークを思いついた」という発言をし、精神科医がその内容を問いただすと「あなたには理解できない」と言って拒絶する場面が描かれています。
路地でブルース・ウェインが両親の死体を見下ろしている場面が挿入されています。
つまりはアーサーはこのシーンが面白い瞬間だと思い至っていると言えます。
つまり、アーサーはすでにバットマンがこの世に登場したことを理解し、その正体がブルース・ウェインであることに気付いています。
そして将来起こりうる直接対決に思いを馳せています。
直接対決に至るには、さらに15年ほどの時間が経過してブルース・ウェインが20代前半にならなければなりません。
この点に関して、すでにアーサーはジョーカーとしては歳をとりすぎているので、直接対決をするジョーカーとは別人物であるといった解釈が入らざるを得ません。
また、「ジョーク」の意味するところは、アーサーの母が記したブルース・ウェインとアーサーが異母兄弟であったという妄想へと繋がります。
社会の正義と悪の二面に兄弟はそれぞれ立つことになっていきます。
この設定が事実かどうかは不明ですが、アーサーはその後のジョーカーが異常なまでにバットマンに固執していくことを鑑みると、形は違えど家族や何がしかの結びつきを2人の間に産み出そうとしていたと言えます。
ラストの病院での使用曲は?:フランク・シナトラ
ラストシーンの精神科医と話をしている場面で、2つの曲が流れます。
一つ目はフランク・シナトラの「That’s Life」です。
そして二つ目はフランク・シナトラの「Send in the Clowns」です。
ラストシーンの一つ目の曲、「That’s Life」の解釈は二つ目の曲と関連させることもできますが、精神科医への返答として用いられたと考えると以下の歌詞が注目されるでしょう。
I said, that’s life (That’s life), and as funny as it may seem
これが人生で、仕方のないものでおかしなものに見えるかもしれない。
Some people get their kicks, stompin’ on a dream
人々は馬鹿にしてきたり、夢の前に立ち塞がることがある
But I don’t let it, let it get me down
でも諦めたりなんかしない
‘Cause this fine old world it keeps spinning around
この素晴らしくみすぼらしい世界は変わり続けるのだから
ジョークと称したものを口にすることで阻まれる可能性があること、そしてそれは今の世の中では理解されないものだということを理解していること。
次の世界では受け入れられるものとなる可能性があることを示唆しています。
そして、病棟を脱したアーサーを考えると、その新しい世界は自分自身で作り上げていく、叶えていく。
あるいは、他者というものに振り回されない形での生き方を知ったというふうにも捉えられます。
二つ目の曲は「Send in the clowns」。
clowns (ピエロ)という言葉が使われているところも意図されているでしょうが、前後の展開を考慮すると以下の歌詞が注目すべきところと言えます。
Isn’t it bliss? Don’t you approve?
最高だろう?そう思わないか?
One who keeps tearing around One who can’t move…
一人は狂い続けているのに、もう一人は動こうとしないまま
Where are the clowns? Send in the clowns
冗談だろう?
アーサーが指している「ジョーク」がブルース・ウェインへの執着だと仮定するならば、異母兄弟として考えた表裏一体な二人というシナリオを描こうとしていると言えます。
続編の可否は不明ですが、その後の展開を匂わせる選曲がなされています。
ラストシーンの病院の血の足跡の意味は?:殺人と今後の決意
病院の血の足跡の意味は、そのまま捉えるならば直前まで会話していた精神科医が殺されたことを意味しています。
ただ、単なる殺人をほのめかせるための血の足跡では味気ないと言えます。
どのようにして州立病院へとアーサーが搬送されたのかは不明ですが、ピエロたちによって一度は救出されたアーサーは自身の血で口元に笑顔を描いています。
アーサーが血を使う際には何か意図があると捉えることができます。
白い空間が死の世界を連想させるものと仮定すれば、そこに赤い足跡を刻むことで死の淵からの生還を意味すると言えます。
また、足跡は逃走を意味します。
本来アーサーが背負うべき殺人などの罪や責任を放棄し、悪の道を進んでいくということ、つまりはジョーカーが真に生まれた瞬間を意味しているとも考えられます。
ソフィーとの全てのシーンが妄想?:大半が妄想
アーサーとソフィーとの関係性のすべてが妄想というわけではありませんが、大半はアーサーによる妄想の産物です。
コメディクラブのショーに連れていったことも、そのショーにアーサーが出演して舞台を成功させたことも事実ではありません。
唯一、事実と言えるのは最初の出会いだけです。
アーサーがバットマンを生んだ?:間接的に生み出した
アーサーがバットマンを生み出したのかという点は、映画「ジョーカー」においては間接的にですが事実と言えます。
アーサーが証券マン3人を殺したことで、世間に高所得者を襲うことが正義だという考えが生まれ、それに触発された人たちによってトーマス・ウェインとマーサ・ウェインは銃殺されてしまいました。
また、実際に高所得者を襲う行動の最後の引き金になったのが、テレビ番組に出演したアーサーが、番組内でマレー・フランクリンを殺した場面です。
このウェイン家をめぐる悲劇の描写はバットマンシリーズで必ず描かれてきた場面ということもあり、殺人犯の見た目は作品ごとに異なりますが、結果としてこの夜の出来事がなければブルース・ウェインがバットマンになることはなかったと言えます。
映画「ジョーカー」はすべて妄想なのか?:真実ではない
映画「ジョーカー」で描かれたすべての出来事がアーサーによる妄想だったのではないか?といった意見があります。
その根拠として、アーサーの母親だけでなくアーサー自身もソフィーとの出来事を勝手に作り上げていた例があります。
一つの捉え方としては、アーサーがソフィーに対して好意を抱いていたデートの場面のみが妄想で、それ以外はすべて事実だったという見方です。
テレビ番組に出演したアーサーは司会者を殺害し、ブルース・ウェインは暴動の最中で両親を殺されて孤児となってしまう。
しかしこの場合、ラストの病院で精神科医と話をしているときにアーサーがブルース・ウェインが亡くなった両親の死体のもとに立っているシーンに違和感が残ります。
アーサーはその場面を知るはずがないため、どのようにしてアーサーはブルース・ウェインの両親が殺されて復讐に燃えるシナリオをイメージできたのか?
あるいは、テレビ番組に出演したアーサーは司会者を殺し、その後街で起こったピエロのマスクをつけた人々の暴動はすべてアーサーの妄想だとも言えます。
そしてどの時点から妄想だったのかという解釈にもさまざまなものが考えられます。
もともと病院にいたアーサーの妄想であり、一度も病院から出ておらずすべての出来事はアーサーの妄想だったとも考えられます。
映画「ジョーカー」は映画「タクシードライバー」に類似する部分があると指摘されることがあります。
その観点で考えてみると、アーサーもどこかの時点ですでに死んでおり、死の瞬間に見た理想が描かれていると言えます。
例えば、テレビ局で殺人を犯したアーサーが連行されるパトカーが救急車によって追突された場面。
一見、アーサーは生きているように見えません。
ボンネットの上に動かずに横たわっているアーサー。
そして、ブルース・ウェインが両親を殺される場面が映されます。
本来はここで物語は終了していると考えられます。
この後、アーサーは目を覚ましてボンネットの上に立ち上がり夢の中にいるかのように踊るシーンがあります。
しかし、ソフィーの場面がそうであるように、映画「ジョーカー」の中ではアーサーが夢心地である際には、そのシーンが現実ではない傾向があります。
そして、ラストシーンの病棟は真っ白な壁と床、アーサーの服も神聖なまでに白に包まれています。
これを死後の世界の暗喩だと捉えることができます。
しかし、映画製作者たちは総じて真実を口にしていないため、どのように考察をしたところで用意された設定だと断言することはできません。
ジョーカーはバットマンと兄弟なのか?:可能性は残る
ブルース・ウェインとアーサー・フレックは異母兄弟なのかは不明です。
トーマス・ウェインはこれを否定し、州の記録でも否定されていました。
しかし、アーサーが亡くなった母の持ち物の一つである写真の裏面には「私はあなたの笑顔が大好き T.W」というメッセージが書かれていました。
映画「ジョーカー」が、ジョーカーを同情的に描いた作品であるということを考慮すれば、少なくともこの作品におけるトーマス・ウェインは街を牛耳っており、自分に都合の悪い出来事をねじ伏せてきた人物であり、アーサーと母はその犠牲者であると言えます。
まとめ
・映画ジョーカーのラストのネタバレ
映画「ジョーカー」の展開に関してはどこまでが事実として解釈すべきで、どこからはアーサー(ジョーカー)の妄想だったのか、その区別が非常に難しいところです。
・映画「ジョーカー」のラストシーン考察!血の足跡の意味や病院・妄想について解説
- 病院を逃走したその後は?:マット・リーブス版へと続く
- 病院のジョークを思いついたというセリフの意味は?:ブルース・ウェインとの関係
- ラストの病院での使用曲は?:フランク・シナトラ
- ラストシーンの病院の血の足跡の意味は?:殺人と今後の決意
- ソフィーとの全てのシーンが妄想?:大半が妄想
- アーサーがバットマンを生んだ?:間接的に生み出した
- 映画「ジョーカー」はすべて妄想なのか?:真実ではない
- ジョーカーはバットマンと兄弟なのか?:可能性は残る
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