新選組・副長の土方歳三は冷酷非道で残忍な性格だと言われることがあります。
今回は、2020年に岡田准一主演で公開される「燃えよ剣」の主人公でもある土方歳三の性格・特徴や生い立ち・バラガキのトシというあだ名について、
また、色男でモテるというのは事実だったのか、好物や好きなものについて紹介します。
土方歳三の性格・特徴や生い立ちと半生・バラガキのトシとは?
土方歳三の性格・特徴を生い立ち・半生にそって見ていきましょう。
また、バラガキのトシというあだ名の意味やいつから呼ばれていたのかを紹介します。
土方歳三の性格・特徴と生い立ちや半生:粗暴な一面と俳句を愛する面
幕末に活躍した新選組の土方歳三は「鬼の副長」という異名を持つためか、冷酷非道で粗暴なイメージを抱かれることが多いでしょう。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』では喧嘩と女遊びに明け暮れる姿が描かれています。
そのような歳三を司馬は「喧嘩師」と評しています。
たしかに、歳三は天然理心流という剣術の道場に通っていながら、実際の決闘では相手に砂を投げつけてひるませたり、首を絞めたりなど、剣術の型にとらわれない勝利至上主義的な性格をうかがわせるエピソードがあります。
また新選組に入ってからも討幕派に対する拷問や隊士への粛清など「鬼」と思わせるエピソードが多々あります。
ただそのような性格は少年時代の出来事が影響しているとも考えられます。
歳三が数え年15のとき、義兄の佐藤彦五郎の祖母が火事の最中、乱心者に斬殺される事件がおきました。
そのとき、義兄・彦五郎は武芸の必要性を痛感して天然理心流に入門しました。
当然、歳三もその事件を知ったことでしょう。
勝つためなら手段を選ばない性格になってもやむなしといえます。
歳三は喧嘩ばかりでなく俳句をたしなんでいました。
「豊玉」という俳号を持ち、上洛前に書き留めた句を「豊玉発句集」として残しています。
司馬は歳三の句を下手だと評しているようですが、歳三には「喧嘩師」とは違った風流人の顔もあったようです。
また同じ新選組の隊士であった中島登はのちに歳三を「年ノ長スルニ従ヒ温和ニシテ人ノ期スル事赤子ノ母ヲ慕フ如シ」(歳をとっていくに従って、赤ちゃんがお母さんを愛するように温和で優しい性格になっていった)と評しています。
こうしてみると、「鬼」の一面だけではなかったと言えます。
ただ、司馬遼太郎のように文学作品としては歳三を鬼のような破天荒な風来坊として描いた方が面白いのかもしれません。
バラガキのトシの意味:茨のトゲのように触れると危険な子
幼少のときは負けん気が強く、やんちゃな性格だったのも確かです。
それでついたあだ名が「バラガキ」。
「バラガキ」とは、茨のトゲのように触ると痛い思いをするような乱暴な子という意味です。
いつからそう呼ばれたかははっきりしません。
きっと物心ついた時から「バラガキ」だったのでしょう。
日頃の喧嘩に備えてか、風呂から上がると家の柱で相撲の稽古をしていたと言われています。
また早くから武士に憧れていたようで、大人になったら武士になって天下に名を上げるといって庭に矢竹を植えたとのことです。
矢竹は「矢」の材料にもなる節くれだっていない真っ直ぐ上に伸びる竹です。
歳三が植えたという矢竹は、今も生家(現在は資料館)の庭に生い茂っています。
そのやんちゃぶりは奉公先でも発揮され、番頭と喧嘩して奉公先を飛び出してきたという逸話もあります。
実際、腕っぷしが強く1860年(万延元年)に出された『武術英明録』に日野宿の剣客八名の一人として紹介されています。
土方歳三は色男でモテるか・好物や好きなものは?
土方歳三は色男でモテるという噂は本当なのか、作られたイメージなのでしょうか?
また、土方歳三の好物・好きなものはなんでしょうか?
土方歳三は色男でモテるのか:男も女も惚れた
「鬼」、「バラガキ」とは裏腹に、土方歳三は色男でモテたことでも知られています。
上洛後、土方は多くの女性たちから艶書(ラブレター)をもらいました。
歳三はそれらを武蔵国小野路村(東京都町田市)の名主で、歳三たちを支援していた小島鹿之助に「つまらぬ物」といって小包にして送ったそうです。
そして別の手紙で「君菊」、「小樂」などと芸伎の名前をあげて「報国の心を忘るる婦人哉」(国のために尽くそうという気持ちを忘れてしまいそうな女性たちだった)と記しています。
歳三がモテた理由はやはり容姿でしょう。
多くの人が彼の容姿を賞しています。
『両雄士伝遺補』という史料には歳三を「眉目清秀ニシテ頗ル美男子タリ」(眉目秀麗でとにかく超イケメン)と評しています。
『漫談明治初年』には「役者とでもいひたい位の色男然たる風貌」とあります。
また、五稜郭で歳三と一緒に戦った榎本武揚は「入室伹清風」(歳三が入室したら清らかな風が吹いたかのようだった)と表現しました。
歳三は容姿だけでなく全体から醸し出す雰囲気も優れていたようです。
上洛して以後は、より多くの女性と接する機会が多かったため、人生の中でもことさらモテていたことでしょう。
しかし、歳三は決して色欲に溺れることなく、新選組副長としての任務を全うしました。
外見に加え、強い使命感・責任感という内面からが湧き出る魅力がさらに歳三の男前ぶりに磨きをかけたことは想像に難くありません。
土方歳三の好物・好きなもの:たくあん・熱い風呂・春・梅の花
土方歳三が沢庵漬を好んで食べたという記録があります。
『新選組余話』という書物によると、歳三は小野路村の橋本家(小島鹿之助の姉の嫁ぎ先)に行くと食事のおかずはきまって沢庵漬で、それを山のように皿にもって音をたてて食べるのが好きだったそうです。
好きすぎるあまり、土産として一樽ごと担いで帰ったとのことです。
食べ物ではありませんが、熱いお風呂に入ることが好きだったとも伝わっています。
佐藤家の甥っ子が熱い湯を嫌がって歳三と一緒にお風呂に入ることを拒んでいたという逸話があります。
歳三は春を詠った俳句を多く残しています。
『豊玉発句集』全41句のうち、春の句は27句、新年(旧歴では春に位置づけられる)を詠った句が2句あり、春の句が大部分をしめます。
歳三の好きな季節は春だったのでしょう。
また「梅の花」がよく俳句の中にあらわれます。
歳三の好きな花は梅の花だったのでしょうか。
歳三の遺品の刀「十一代和泉守兼定」の鐔にも梅の花が描かれています。
梅の花が好きだたったとしたら、それは生涯変わらなかったといえます。
まとめ
・土方歳三の性格・特徴と生い立ちや半生:粗暴な一面と俳句を愛する面
幕末に活躍した新選組の土方歳三は「鬼の副長」という異名を持つためか、冷酷非道で粗暴なイメージを抱かれることが多いでしょう。
・バラガキのトシの意味:茨のトゲのように触れると危険な子
いつからそう呼ばれたかははっきりしません。
日頃の喧嘩に備えてか、風呂から上がると家の柱で相撲の稽古をしていたと言われています。
・土方歳三は色男でモテるのか:男も女も惚れた
上洛後、土方は多くの女性たちから艶書(ラブレター)をもらいました。
歳三がモテた理由はやはり容姿でしょう。
・土方歳三の好物・好きなもの:たくあん・熱い風呂・春・梅の花
土方歳三が沢庵漬を好んで食べたという記録があります。
食べ物ではありませんが、熱いお風呂に入ることが好きだったとも伝わっています。
歳三は春を詠った俳句を多く残しています。
歳三の遺品の刀「十一代和泉守兼定」の鐔にも梅の花が描かれています。
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