2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀のゆかりのある人物として、明智光安がいます。
今回が、明智光安の逸話・エピソード、性格・特徴はどのようだったかを紹介します、
また、明智光秀との関係性や明智光安の生涯・半生を解説します。
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明智光安の逸話・エピソードや性格・特徴
明智光安の逸話やエピソードにはどのようなものがあるでしょうか?
また、明智光安の性格・特徴を紹介します。
明智光安の性格・特徴や人物像:光秀の父親代わり
明智光安は、明智光秀の少年期から青年期を支え続けた人物です。
光秀はもっとも多感な時期に、父親代わりとして、教育者として、明智家と光秀を守ってくれた光安を尊敬していたと考えられます。
壮年期の光秀に仕えていた武将の中でも、特に重臣とされる人物は、従兄弟や妻の兄弟、娘婿など親族が多いのです。
また、友人の細川藤孝の息子に自分の娘を嫁がせるなど、血縁関係を重んじています。
これは親族を大切にしていた光安の影響ではないでしょうか。
大河ドラマ「麒麟がくる」では西村雅彦さんが明智光安を演じます。
取材会の様子からは、にこやかで親しみやすい人物でありながらキリッとした一面も伺えました。
これこそまさに、光秀を優しく導きながら、明智家を守る事を貫き通した光安のイメージにピッタリだと思いました。
明智光安の逸話やエピソード:性格・特徴を表す逸話
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明智光安の逸話やエピソードとして、直接本人にまつわるものはあまり残されていません。
ただ、明智光安の性格・人物を表す逸話・エピソードとして次のようなものが挙げられます。
先見の明があった明智光安
明智家の領地がある美濃国を当時治めていたのは土岐氏という一族でした。
1532年、この土岐氏の家臣の中でも、特に勢いがあった斎藤道三(当時は長井規秀と名乗っていました)に、光安の妹である小見の方を嫁がせます。
これは人質としての役割だったようです。
ですが、光秀の父と言われている明智光綱は、道三に城を攻められて死亡したという説があります。
それにも関わらず、その後も明智家は道三と友好な関係を続けています。
この説が本当だとすれば、光安は打算的な人物だったという事になります。
明智家の発展のためならば、身内の仇とも手を組んでいたからです。
柔軟な発想が出来るとも取れますが、冷酷で目的のためには手段を選ばなかったともいえます。
逆にこの説が間違っているのであれば、光安は妹の夫である道三を応援し続けたことになります。
であれば、親族と認めた者に援助を惜しまないという、義理堅い人物であったと言えます。
いずれにせよ、結果的に斎藤道三は美濃の国主となったため、先見の明はあったのでしょう。
先を読む力に長けていたのならば、光秀の才能を見抜いていたのかもしれません。
明智光安=遠山景行?
明智光安に関する面白いエピソードとして、美濃明知城主の遠山景行と同一人物だという説があります。
遠山景行は、後に織田信長に仕えることになる人物なのですが、明智光継の三男として生まれ、血の繋がりのある遠山氏を継いだという記録があります。
そして、1570年に織田家と武田家の戦があり、その際に美濃国恵那郡(現在の岐阜県恵那市)で武田軍と戦い討死にしています。
明智光安=遠山景行説が本当であるとするならば、光秀と共に光安も織田信長に仕えていた事になります。
武田家と織田家はいつ戦になってもおかしくない、緊迫した状況でした。
美濃明知城は美濃国恵那郡に存在しており、武田家の領地である信濃国(現在の長野県)にとても近い地域です。
これは、非常に危険な最前線の守りを任されていたとも言えます。
地元である東濃地域を守るために戦った、郷土愛に溢れた人物だったのでしょう。
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明智光安と明智光秀の関係や生涯・半生は?
明智光安と明智光秀の関係性はどうなっていたのでしょうか?
また、明智光安の生涯・半生を紹介します。
明智光安と明智光秀の関係性:叔父と甥
「明智光安」という名前から、明智光秀の家族か親戚じゃないかな?と、ピンと来た方、正解です。
光安は明智光秀の父の弟、つまり叔父にあたる人物です。
光秀の父は美濃国(岐阜県南部)の明智城の城主でしたが、1535年に若くして亡くなりました。
光秀が生まれた年は現在もはっきりと分かっていませんが、有力である1528年生まれ説を採用すると当時7歳です。
その時、まだ幼い光秀の代わりに明智家の当主となったのが光安です。
また光安の父(光秀のお爺さん)から親代わりを任されました。
つまり将来の明智家当主の、教育係としての役割もあったようです。
光安は光秀が成人した後に当主にしたいと考えていたようですが、光秀はその申し出を断ったため、光安がそのまま明智家の当主を続けたそうです。
実は光秀は、当主となる事を2度も断っています。
父が死んだタイミングと、成人したタイミングです。
まだ7歳であれば、自分ではなく大人が当主になるべきだと考えるのは普通ですが、成人後も辞退しているということは、それだけ光安は信頼できる人物であり、仕事ぶりも認めていたのではないでしょうか?
この事から、2人の仲は非常に良かったと思います。
明智光安の生涯・半生:明智家に捧げた一生
明智家に関する記録はかなり曖昧で、最も有名である光秀に関する情報すら、どの史料に載っているものが正しいのか分かっていません。
そんな中、光安についても少しだけ記録が残っています。
まず、光安は1500年ごろ、美濃の明智長山城の城主であった明智光継の三男として誕生しました。
一般に戦国時代は1467年の応仁の乱から1493年の明応の政変に始まり、豊臣秀吉が全国統一の軍事活動を終えた1590年までと言われているため、光安が生まれた頃は戦国時代の初期にあたります。
まさに世の中が荒れに荒れていた時代です。
そんな時代ですから、各地の地方領主による小競り合いは日常茶飯事でした。
そして1535年、明智光秀の父が亡くなりました。
死因は諸説ありますが、当時美濃国では家臣だけではなく他の国の国主まで巻き込んで、叔父と甥が権力争いをするという大きな事件があり、その戦に巻き込まれて死亡した可能性が高いです。
結局、その争いを利用して1542年に斎藤道三が美濃の国主となります。
土岐氏が権力を失っていた過程は、一族の絆が固かった明智家とは対照的です。
お家騒動に巻き込まれて兄を失った事や、親戚同士の争いで国主の座を奪われた土岐氏を間近で見ていたことは、大きな教訓になったのではないでしょうか。
だからこそ甥の光秀を大切にし、明智家全体の結束を固めたのだと思います。
1553年、光安は出家して宗寂と名乗ります。
有名な、武田信玄や上杉謙信などは出家した後も当主として活躍しましたが、そのまま隠居する武将も多くいました。
斎藤道三は出家後、息子に家を継がせています。
もしかすると、光秀を当主にする方法として出家を選んだのかもしれません。
自分が認めた甥のため、潔く身を引くという光安の覚悟と機転の良さを感じます。
そして1556年。
斎藤道三とその息子、斎藤義龍が激突する長良川の戦いが起こりました。
光安はその戦いにも深く関わっています。
前述した通り、道三の妻である小見の方は光安の妹なので、明智家と斎藤家は親戚同士です。
そして義龍の母は、別の妻である深芳野という女性です。
しかも、義龍が小見の方の子供である2人の弟を殺害した事が、道三と義龍の対立を決定的にしたそうです。
明智家の立場ならば、当然道三に味方しますよね。
光安は弟の光久や甥の光秀、家臣たち、更に近隣の領主たちと共に明智城に籠城して義龍派の武将と戦いました。
しかし、その戦に負けて明智城は落城、光安は自害して生涯を閉じます。
この時、自分の息子である明智秀満に光秀を託して城を脱出させています。
光秀であれば必ず明智家再興を果たしてくれると信じての行動だったのでしょう。
明智家を守ろうという強い意思を感じさせます。
そして光秀の逃走を助けた秀満は、以後光秀の重臣として活躍します。
光安から受けた恩を、今度は従弟である秀満に返そうとしたのかもしれませんね。
光安の生涯は、自分の大切な家族・親類・明智家そのものを守るために捧げられていたと言えるでしょう。
そうして守り切った明智家は、最も信頼した甥である光秀が再興しました。
立派な後継者を育てる事に成功したことこそ、光安の大きな功績だと思います。
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まとめ
・明智光安の性格・特徴や人物像
明智光安は、明智光秀の少年期から青年期を支え続けた人物です。
光秀はもっとも多感な時期に、父親代わりとして、教育者として、明智家と光秀を守ってくれた光安を尊敬していたと考えられます。
・明智光安の逸話やエピソード
- 先見の明があった明智光安
- 明智光安=遠山景行?
・明智光安と明智光秀の関係性
光安は明智光秀の父の弟、つまり叔父にあたる人物です。
まだ幼い光秀の代わりに明智家の当主となったのが光安です。
・明智光安の生涯・半生
光安は1500年ごろ、美濃の明智長山城の城主であった明智光継の三男として誕生しました。
いつもたくさんのコメントありがとうございます。他にも様々な情報がありましたら、またコメント欄に書いてくださるとうれしいです。